2007年05月23日(Wed)
無題
いじめと自殺の因果関係とか交通事故と脳脊髄液減少症の因果関係ということばを耳にする。因果関係を明らかにすることが問題解決の筋道とされている。この因果ということは仏教の教えの根本である。お釈迦さまは人生の苦しみの因果関係を明らかにされたのだ。文明が進歩しても、世の中の苦しみはますます大きくなっているこのごろ、私たちはこの苦しみの原因、因果関係を明らかにし、対処する必要に迫られている。
2007年05月07日(Mon)
無題
さわやかな風と緑にさそわれて、家族一同で定光院にお参りした。近くの駐車場に車を停め、ウグイスの声に耳を澄ませながら、眼下に広がる琵琶湖を楽しんだ。七百五十年余りの昔、日蓮聖人はこの湖を眺めながら、清澄山から見える故郷の大海原を思い出されていたのではなかろうか。この広大な空間の広がりの中で聖人は勉学され、立正安国という大きな志を育んだと思われる。その跡を私たちも大きな大きな心をもって歩みたい。
2007年05月01日(Tue)
今月の聖語[平成十九年五月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。