2008年04月01日(Tue)
今月の聖語[平成二十年四月]
平成二十年四月の聖語をご紹介します。
=解説=「宗教と生活」 (建治二年 一二七六年聖寿五五歳)
この聖語の前には、「爾前の経々の心は、心より万法を生ず譬えば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す 法華経はしからず」とある。日蓮聖人は、爾前経と法華経の思想、その立脚点の相違を述べている。法華経が説かれる以前の諸経と法華経とは教理上おおいに異なり浅深があると。世間のありように対する認識はその一例であって、法華経以前の諸経は、世間の法を仏法と関係づけておしえているのであるが、法華経はそうではない。法華経では世間の法がそのまま仏法の全体であると解釈し認定するのである。爾前経は世間の現象を対立的相対的に見て、現象のあれこれを仏法と引き合わせて解釈するが、法華経は、端的・直截に世法即仏法と説くのである。
だから心が万法(すべてのもの)を生む大地で生ずる草木は万法というが、そうではなく、心即大地・大地即草木と見る。つまり対立の調和ではなく融合一体。すなわち宗教と生活の一枚化の原理の説示である。
=解説=「宗教と生活」 (建治二年 一二七六年聖寿五五歳)
この聖語の前には、「爾前の経々の心は、心より万法を生ず譬えば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す 法華経はしからず」とある。日蓮聖人は、爾前経と法華経の思想、その立脚点の相違を述べている。法華経が説かれる以前の諸経と法華経とは教理上おおいに異なり浅深があると。世間のありように対する認識はその一例であって、法華経以前の諸経は、世間の法を仏法と関係づけておしえているのであるが、法華経はそうではない。法華経では世間の法がそのまま仏法の全体であると解釈し認定するのである。爾前経は世間の現象を対立的相対的に見て、現象のあれこれを仏法と引き合わせて解釈するが、法華経は、端的・直截に世法即仏法と説くのである。
だから心が万法(すべてのもの)を生む大地で生ずる草木は万法というが、そうではなく、心即大地・大地即草木と見る。つまり対立の調和ではなく融合一体。すなわち宗教と生活の一枚化の原理の説示である。
2008年03月11日(Tue)
仏像の道
あたたかさに誘われて上野・国立博物館の仏像展へ行った。
中国龍門石窟の仏頭のおだやかなまなざしが心に残った。
ベンチに腰掛けていると、かつて恩師が「仏教の目的は執着を離れること」と授業で語った光景が脳裏によみがえった。
仏像の表情は執着を離れたことを物語っていた。
人生の苦しみに対する処方箋は、消費社会の中で欲望を制御することに尽きるのではないか。
東京国立博物館
中国龍門石窟の仏頭のおだやかなまなざしが心に残った。
ベンチに腰掛けていると、かつて恩師が「仏教の目的は執着を離れること」と授業で語った光景が脳裏によみがえった。
仏像の表情は執着を離れたことを物語っていた。
人生の苦しみに対する処方箋は、消費社会の中で欲望を制御することに尽きるのではないか。
東京国立博物館
2008年03月05日(Wed)
ならぬものはならぬものです
「会津っこ宣言」を知った。白虎隊で有名な会津に伝わる伝統教育の文言を本にできたようだ。
「弱いものをいじめてはなりませぬ‥‥」とあり、最後に
「ならぬものはならぬものです」
とあるのが心に残った。
明け方、たまたま、テレビを見て感心したものの、メモできなかったのが残念。
防衛省前次官の汚職やこのたびのイージス艦事件を見るにつけ
私たちから「ならぬものはならぬものです」の精神が欠如していることを痛感する。
「弱いものをいじめてはなりませぬ‥‥」とあり、最後に
「ならぬものはならぬものです」
とあるのが心に残った。
明け方、たまたま、テレビを見て感心したものの、メモできなかったのが残念。
防衛省前次官の汚職やこのたびのイージス艦事件を見るにつけ
私たちから「ならぬものはならぬものです」の精神が欠如していることを痛感する。