アーカイブリスト
2009年04月30日(Thu)
たいせつなこと
『たいせつなこと』というのはじつは絵本です。
絵の美しさと題名に惹かれて手にした。この絵本が出版されたのは1949年のアメリカ。訳者の内田さんが外国の小さな本屋で見つけて感動して、翻訳、出版されたのは2001年のこと。
私は読んで、驚いた。
法華経薬草兪品の世界がそのまま、簡潔なことばで表現されていると思った。
絵本の最後のページに、あなたにとってたいせつなのは、「あなたがあなたであること」と記されていた。
ところで、わたしは、目白の「古道具坂田」と中目黒の「cow books]という古本屋が好きで、機会があるとのぞいている。
どちらも、あまり広くない店が、目立たない通りにひっそりと建っている。
どちらも庵のような雰囲気。
共通していることは、お店をつくったご主人の人生がそのまま形になっていることだろう。
いま、この二つのお店のまえに立つたびに、「あなたがあなたであること」のたいせつさと、そしてそのむずかしさを思うのである。
人生の大半をかけて作り上げた、お店の形とこころが目の前に存在しているのだ。
これはもちろん、お寺も同じである。
そこの住職と家族が心をこめて作り上げたものが形になっているのである。
お寺を訪ねる人の心によいものを与えるお寺にしたいものと、わたしも努力しているのだが、たいへんむずかしいものだと反省している。
そういう意味で、目白と中目黒の二つのお店は、よいお手本だと、思っている。
絵の美しさと題名に惹かれて手にした。この絵本が出版されたのは1949年のアメリカ。訳者の内田さんが外国の小さな本屋で見つけて感動して、翻訳、出版されたのは2001年のこと。
私は読んで、驚いた。
法華経薬草兪品の世界がそのまま、簡潔なことばで表現されていると思った。
絵本の最後のページに、あなたにとってたいせつなのは、「あなたがあなたであること」と記されていた。
ところで、わたしは、目白の「古道具坂田」と中目黒の「cow books]という古本屋が好きで、機会があるとのぞいている。
どちらも、あまり広くない店が、目立たない通りにひっそりと建っている。
どちらも庵のような雰囲気。
共通していることは、お店をつくったご主人の人生がそのまま形になっていることだろう。
いま、この二つのお店のまえに立つたびに、「あなたがあなたであること」のたいせつさと、そしてそのむずかしさを思うのである。
人生の大半をかけて作り上げた、お店の形とこころが目の前に存在しているのだ。
これはもちろん、お寺も同じである。
そこの住職と家族が心をこめて作り上げたものが形になっているのである。
お寺を訪ねる人の心によいものを与えるお寺にしたいものと、わたしも努力しているのだが、たいへんむずかしいものだと反省している。
そういう意味で、目白と中目黒の二つのお店は、よいお手本だと、思っている。
2009年04月13日(Mon)
醍醐桜を見る
タレントの一言は恐ろしい。
タモリが「日本一の桜は岡山北部の醍醐桜だと思う」と言ったものだから、行こうということになった。
中国自動車道・北房でおりて三十分。
車をとめてゆっくり登っていくと、かなたに醍醐桜。
千年桜ともいい、後醍醐天皇が愛でたと伝わる。
五分咲きだった。彼岸桜の一種だという。ソメイヨシノと比べて花は小さい。きりっとしている。主幹からは霊気がただよう。その貫禄は近くに植えられた二代目醍醐桜と比べれば、一目瞭然。
芝生にころがって醍醐桜を眺めると快い。千年の樹とくらべて私たちの命のなんとはかないことか。春の気配の中で、この樹と再び会うことができるのだろうかと感慨にひたった。
岡山へと向かう途中で、高梁・備中松山城に登った。
日本一高い山城だそうだ。海抜五百メートル弱。断崖絶壁上に天守閣がある。
車をとめて、七百メートルほど息をきらしてたどり着いた。内部に入ると、城主の間があった。
ここで最期を迎えた一族もあったのかもしれない。
醍醐桜とはちがう霊気がただよっていた。
霊気を感じるとき、私自身のいのちの大きさを、同時に感じるような思いがした。
気分のよい旅だった。
タモリが「日本一の桜は岡山北部の醍醐桜だと思う」と言ったものだから、行こうということになった。
中国自動車道・北房でおりて三十分。
車をとめてゆっくり登っていくと、かなたに醍醐桜。
千年桜ともいい、後醍醐天皇が愛でたと伝わる。
五分咲きだった。彼岸桜の一種だという。ソメイヨシノと比べて花は小さい。きりっとしている。主幹からは霊気がただよう。その貫禄は近くに植えられた二代目醍醐桜と比べれば、一目瞭然。
芝生にころがって醍醐桜を眺めると快い。千年の樹とくらべて私たちの命のなんとはかないことか。春の気配の中で、この樹と再び会うことができるのだろうかと感慨にひたった。
岡山へと向かう途中で、高梁・備中松山城に登った。
日本一高い山城だそうだ。海抜五百メートル弱。断崖絶壁上に天守閣がある。
車をとめて、七百メートルほど息をきらしてたどり着いた。内部に入ると、城主の間があった。
ここで最期を迎えた一族もあったのかもしれない。
醍醐桜とはちがう霊気がただよっていた。
霊気を感じるとき、私自身のいのちの大きさを、同時に感じるような思いがした。
気分のよい旅だった。
2009年04月07日(Tue)
桜の霊気
早朝、散歩のまえにテレビをつけると、京都の桜守といわれる佐野藤右衛門さんへのインタビュー。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。
2009年04月03日(Fri)
今月の聖語[平成二十一年四月]
平成二十一年四月の聖語をご紹介します。
=解説=「敵こそ味方」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
提婆達多は仏陀の従兄弟で弟子だが反逆。新教団を創出して新仏たらんとした。さらに仏陀を殺そうと謀り破門された。釈尊に敵対した教団の破壊者。極悪人の代表である。
非道の仏敵提婆達多は、逆説的に釈尊に味方した。敵こそ味方。釈尊第一の敵こそかえって第一の善知識であった。そのことを「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善智識なれ」の文が掲出文に接して語られる。
世間の例を見てもこのことは言えよう。強敵が人を育て、競争相手がわが身を磨き鍛えるのである。思うに戒心すべきこと、用心しなくてはならぬことは、遠くではなく近くにあるものだ。釈迦に提婆、太子に守屋。毒薬も変じて薬となる。
逆境に身を置きながら奮励これつとめ、味方少なく敵多かった日蓮聖人のしみじみとした述懐の言葉である。
=解説=「敵こそ味方」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
提婆達多は仏陀の従兄弟で弟子だが反逆。新教団を創出して新仏たらんとした。さらに仏陀を殺そうと謀り破門された。釈尊に敵対した教団の破壊者。極悪人の代表である。
非道の仏敵提婆達多は、逆説的に釈尊に味方した。敵こそ味方。釈尊第一の敵こそかえって第一の善知識であった。そのことを「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善智識なれ」の文が掲出文に接して語られる。
世間の例を見てもこのことは言えよう。強敵が人を育て、競争相手がわが身を磨き鍛えるのである。思うに戒心すべきこと、用心しなくてはならぬことは、遠くではなく近くにあるものだ。釈迦に提婆、太子に守屋。毒薬も変じて薬となる。
逆境に身を置きながら奮励これつとめ、味方少なく敵多かった日蓮聖人のしみじみとした述懐の言葉である。
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