2009年04月07日(Tue)
桜の霊気
早朝、散歩のまえにテレビをつけると、京都の桜守といわれる佐野藤右衛門さんへのインタビュー。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。