アーカイブリスト
2008年05月30日(Fri)
梵漢和対照法華経
朝勤ではゆっくりと法華経八巻を読んでいる。静かな朝のこころよいひととき。心に残ることばは書きとめておく。
三月に岩波書店から植木雅俊訳『梵漢和対照法華経』が出版されてからは朝食ののちに、同じ箇所を読み合わせする楽しみが増えた。今日も註を読んでいると、月を意味する梵語は「ウサギを持つもの」で、仏教がインドから中国へ伝わると、それまで中国では月にヒキガエルがいると考えられていたのが、ウサギがいるという考えに変わったと記されていた。
おもしろい。昔習った梵語の文法を思い出しながら註を読むのは楽しい。
三月に岩波書店から植木雅俊訳『梵漢和対照法華経』が出版されてからは朝食ののちに、同じ箇所を読み合わせする楽しみが増えた。今日も註を読んでいると、月を意味する梵語は「ウサギを持つもの」で、仏教がインドから中国へ伝わると、それまで中国では月にヒキガエルがいると考えられていたのが、ウサギがいるという考えに変わったと記されていた。
おもしろい。昔習った梵語の文法を思い出しながら註を読むのは楽しい。
2008年05月13日(Tue)
伊豆法難
1261年の5月12日、日蓮聖人は鎌倉幕府によって伊豆へと流された。前年に前執権北条時頼へ奏進した立正安国論が物議を呼んでいたからである。聖人は諸宗との対論を望んだが、それはかなえられず、草庵を襲われ、あげくのはては流罪になった。
‥‥と考えているうちに、こう着状態に陥っている今日の政局を思った。昔も今も日本人は話し合いが苦手ではないのか。問答無用となりやすい。この点はもっともっと日蓮聖人に学ぶべきではなかろうか。いわゆる折伏のイメージからもっとも遠いのが日蓮聖人だと私は思っているのだが‥‥。
‥‥と考えているうちに、こう着状態に陥っている今日の政局を思った。昔も今も日本人は話し合いが苦手ではないのか。問答無用となりやすい。この点はもっともっと日蓮聖人に学ぶべきではなかろうか。いわゆる折伏のイメージからもっとも遠いのが日蓮聖人だと私は思っているのだが‥‥。
2008年05月08日(Thu)
マリオ ジャコメッリの写真
聖火や暫定税率のことで世の中が揺れに揺れた。
落ち着きたく思って、さわやかな風の中、えびす・東京写真美術館へ行った。
絵はもちろん好きだが、このごろ白黒写真が心になじむ。
ジャコメッリの写真の中でも特に黒い服装の老人や病人の写真が心に残る。
老病死という究極の人間の姿が写し取られている。
新しく新しく変化していく街の奥にはこのようにひっそりと生きている多くの人がいることを忘れてはいけないと思う。
落ち着きたく思って、さわやかな風の中、えびす・東京写真美術館へ行った。
絵はもちろん好きだが、このごろ白黒写真が心になじむ。
ジャコメッリの写真の中でも特に黒い服装の老人や病人の写真が心に残る。
老病死という究極の人間の姿が写し取られている。
新しく新しく変化していく街の奥にはこのようにひっそりと生きている多くの人がいることを忘れてはいけないと思う。
2008年05月01日(Thu)
奇妙は聖火リレー
じつに奇妙な、形容しがたい不可解な光景だ。
平和の祭典・オリンピックの聖火が百人をこえる警官隊に護られてよろよろと運ばれ、二、三度、抗議のアタックを受けている。
沿道では中国の旗とチベットの旗とがぶつかりあっている。
聖火はベルリン大会に始まるという。ナチスが第三帝国の国威発揚のために考案したようだ。
そうであれば、スポーツの祭典を表看板に、大国の国威発揚と商業主義の渦巻くオリンピックにふさわしい光景というべきかもしれない。
オリンピックの見所が一つ増えたのかもしれない。
平和の祭典・オリンピックの聖火が百人をこえる警官隊に護られてよろよろと運ばれ、二、三度、抗議のアタックを受けている。
沿道では中国の旗とチベットの旗とがぶつかりあっている。
聖火はベルリン大会に始まるという。ナチスが第三帝国の国威発揚のために考案したようだ。
そうであれば、スポーツの祭典を表看板に、大国の国威発揚と商業主義の渦巻くオリンピックにふさわしい光景というべきかもしれない。
オリンピックの見所が一つ増えたのかもしれない。
2008年05月01日(Thu)
今月の聖語[平成二十年五月]
平成二十年五月の聖語をご紹介します。
=解説=「夫婦」 (一二七八年弘安元年聖寿五十七歳)
男女・夫婦の互いの役割をものに託して指摘した三箇条。掲出の二箇条の間には省略した一文がある。「男は足のごとし 女人は身のごとし」である。
桁(なかわ)は柱の上に渡す屋根の受け木。柱が倒れると落下する。柱なくして桁(けた)はない。桁(けた)なくば屋根ふけぬ。ともになくてはならぬ用材である。男女の関係、ここは夫婦の関係の密接不可分さを告げ、相互の関係をいいつくしている。
足と身、羽と身の関係を指摘して一体不可分さを語る。男が足と羽に譬(ひ)されたのは、夫のはたらきをいい、それが存分に活動するのは妻たる身のささえによるというわけ。つまりは、男の仕業は女の力ということ。「家に男なければ人の魂なきがごとし。公事(くうじ)をばたれにかいいあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき」とつづく。
=解説=「夫婦」 (一二七八年弘安元年聖寿五十七歳)
男女・夫婦の互いの役割をものに託して指摘した三箇条。掲出の二箇条の間には省略した一文がある。「男は足のごとし 女人は身のごとし」である。
桁(なかわ)は柱の上に渡す屋根の受け木。柱が倒れると落下する。柱なくして桁(けた)はない。桁(けた)なくば屋根ふけぬ。ともになくてはならぬ用材である。男女の関係、ここは夫婦の関係の密接不可分さを告げ、相互の関係をいいつくしている。
足と身、羽と身の関係を指摘して一体不可分さを語る。男が足と羽に譬(ひ)されたのは、夫のはたらきをいい、それが存分に活動するのは妻たる身のささえによるというわけ。つまりは、男の仕業は女の力ということ。「家に男なければ人の魂なきがごとし。公事(くうじ)をばたれにかいいあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき」とつづく。
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