アーカイブリスト
2008年11月26日(Wed)
身延山の桜
脳科学者・茂木健一郎が『脳と仮想』(新潮文庫)のなかで、評論家・小林秀雄(1902〜83)の講演を絶賛していた。そのことが記憶に残っていたので、書店に小林秀雄の名講演選CDが付録についた文芸誌を買った。
買ったまま聞いていなかったが、思い出してドライヴしながら聞いた。聞いていると、小林秀雄がやや甲高い声で何回も何回も語っているのは、近代合理主義を身に着けたと自負し、絶対に正しいと信じている私たちの考えかたについてだ。
ちかごろは、じつに多くの事件が頻発する。評論家は「こんなことは信じられないできごとだ」と常に繰り返すが、信じられないできごとばかりが毎日起きる。だが、アウシュビッツの虐殺や原爆投下を平気で行なった人間だ。どんなことでもやりかねないのだ。平穏無事こそが奇跡のようなもので、それこそが信じられないありがたいことなのではなかろうか。
世の中はだんだんと良くなってゆくと信じたいのは人情だが、それは現代人がしがみついている迷信の一つかもしれない。一億人の日本人が物心両面でそこそこに恵まれていることこそ歴史上の珍事だと思ったほうがよいのではないか。
小林秀雄は桜が好きで花行脚をした。自宅に植えられていた枝垂桜は山梨県の清春白樺美術館に移植されているそうだ。その小林秀雄が最後まで見残した桜が身延山の枝垂桜だった。
亡くなった翌々年の春、夫人は遺影をもって身延山の桜を見に行ったという(新潮社『小林秀雄 美と出会う旅』)。
買ったまま聞いていなかったが、思い出してドライヴしながら聞いた。聞いていると、小林秀雄がやや甲高い声で何回も何回も語っているのは、近代合理主義を身に着けたと自負し、絶対に正しいと信じている私たちの考えかたについてだ。
ちかごろは、じつに多くの事件が頻発する。評論家は「こんなことは信じられないできごとだ」と常に繰り返すが、信じられないできごとばかりが毎日起きる。だが、アウシュビッツの虐殺や原爆投下を平気で行なった人間だ。どんなことでもやりかねないのだ。平穏無事こそが奇跡のようなもので、それこそが信じられないありがたいことなのではなかろうか。
世の中はだんだんと良くなってゆくと信じたいのは人情だが、それは現代人がしがみついている迷信の一つかもしれない。一億人の日本人が物心両面でそこそこに恵まれていることこそ歴史上の珍事だと思ったほうがよいのではないか。
小林秀雄は桜が好きで花行脚をした。自宅に植えられていた枝垂桜は山梨県の清春白樺美術館に移植されているそうだ。その小林秀雄が最後まで見残した桜が身延山の枝垂桜だった。
亡くなった翌々年の春、夫人は遺影をもって身延山の桜を見に行ったという(新潮社『小林秀雄 美と出会う旅』)。
2008年11月22日(Sat)
日蓮聖人のユーモア
西新宿・住友ビル・地下住友ホールで開催されている良寛遺墨展へ行った。こどもと隠れん坊や手まりをついて遊んだ越後の良寛さんである。
生誕250年を記念して、出雲崎・良寛記念館の収蔵品が展示されている。新潟県出身の人たちの雑談がここかしこでかわされていて、そのなごやかな空気は良寛展にふさわしく思えた。
一番心に残ったものは、良寛の使っていた布団のはぎれであった。臨終の後、身近な人びとに遺品として配布されたものらしい。
長い間大切にされてきた布団のはぎれに、人びとの良寛への思いが表れている。
これだけ多くの彼の書を見るのは初めてだった。
端正で力強い。
当時の仏教界の堕落を批判し、一人信じる道を歩んだ良寛の内面をかいまみることができた。
その書を見ながら、私は以前、中山法華経寺・聖教殿で拝観した日蓮聖人の富木氏へ宛てた「寺泊御書」を思い浮かべた。
佐渡へ流される聖人が対岸の越後・寺泊で書いた手紙である。
ぼそぼそと記された文字に死を覚悟した聖人の心がうかがえた。
立教開宗以後20年間、聖人には心の休まるときは少なかったのではなかろうか。
しかし数年後、身延山から同じ富木氏へ宛てた「忘持経事」には聖人の快活な心があふれている。
身延山から帰るとき、大切な所持している法華経を忘れた富木氏へ、その法華経を届けるかたわら、謹厳実直な富木氏を古今の例を引きながら、「あなたは日本で一番の物忘れの人だ」とひやかしている。
そのユーモアあふれる文章から、多くの弟子信者が慕った聖人の実像があらわれてくるようだ。
厳しい生活のなかでも子供と遊んだ良寛、そして信者へのユーモア精神を忘れなかった日蓮聖人。
これらは本当に勁い人間とはどういうものかということを物語っている。
生誕250年を記念して、出雲崎・良寛記念館の収蔵品が展示されている。新潟県出身の人たちの雑談がここかしこでかわされていて、そのなごやかな空気は良寛展にふさわしく思えた。
一番心に残ったものは、良寛の使っていた布団のはぎれであった。臨終の後、身近な人びとに遺品として配布されたものらしい。
長い間大切にされてきた布団のはぎれに、人びとの良寛への思いが表れている。
これだけ多くの彼の書を見るのは初めてだった。
端正で力強い。
当時の仏教界の堕落を批判し、一人信じる道を歩んだ良寛の内面をかいまみることができた。
その書を見ながら、私は以前、中山法華経寺・聖教殿で拝観した日蓮聖人の富木氏へ宛てた「寺泊御書」を思い浮かべた。
佐渡へ流される聖人が対岸の越後・寺泊で書いた手紙である。
ぼそぼそと記された文字に死を覚悟した聖人の心がうかがえた。
立教開宗以後20年間、聖人には心の休まるときは少なかったのではなかろうか。
しかし数年後、身延山から同じ富木氏へ宛てた「忘持経事」には聖人の快活な心があふれている。
身延山から帰るとき、大切な所持している法華経を忘れた富木氏へ、その法華経を届けるかたわら、謹厳実直な富木氏を古今の例を引きながら、「あなたは日本で一番の物忘れの人だ」とひやかしている。
そのユーモアあふれる文章から、多くの弟子信者が慕った聖人の実像があらわれてくるようだ。
厳しい生活のなかでも子供と遊んだ良寛、そして信者へのユーモア精神を忘れなかった日蓮聖人。
これらは本当に勁い人間とはどういうものかということを物語っている。
2008年11月10日(Mon)
金融危機に揺れる
10月6日、ニューヨークに起こった金融危機の波は何回も日本に打ち寄せ、この間東証株価は一時7000円台をわりこみ、円は90円に迫った。
これを見て、かつての「ミスター円」こと榊原英資氏は「アメリカ金融帝国崩壊のはじまり」と評した。
帝国の忠実な家来であり、生産工場である日本の運命は、はたしていかに。
首都圏に二ヶ所の軍事基地をおいてにらまれていては動きは取れまい。
政府の右往左往、そのまことに軽々しい様子をを見るに付け、官邸は虎ノ門にあるのではと思わざるを得ないのである。
あげくのはては、国民一人当たり1万円余りのお小遣いを給付してくださるそうな。
そのお小遣いの袋には三年後消費税アップと印刷されている‥‥。
もうすこしまともな政治をしてもらえないものか。
鎌倉時代にも、関所で通行税をとっては慈善事業をおこなった人たちがいた。
堂々と「立正安国」の政治をやってもらいたい。
この渦中でアメリカは大統領選を実施する。新大統領は思い切った舵取りをするにちがいない。
かたや、日本政府は選挙は政治的空白だという。
国民の意思を示す総選挙を「政治的空白」とあからさまに言われるとは、国民も馬鹿にされたものである。
これを見て、かつての「ミスター円」こと榊原英資氏は「アメリカ金融帝国崩壊のはじまり」と評した。
帝国の忠実な家来であり、生産工場である日本の運命は、はたしていかに。
首都圏に二ヶ所の軍事基地をおいてにらまれていては動きは取れまい。
政府の右往左往、そのまことに軽々しい様子をを見るに付け、官邸は虎ノ門にあるのではと思わざるを得ないのである。
あげくのはては、国民一人当たり1万円余りのお小遣いを給付してくださるそうな。
そのお小遣いの袋には三年後消費税アップと印刷されている‥‥。
もうすこしまともな政治をしてもらえないものか。
鎌倉時代にも、関所で通行税をとっては慈善事業をおこなった人たちがいた。
堂々と「立正安国」の政治をやってもらいたい。
この渦中でアメリカは大統領選を実施する。新大統領は思い切った舵取りをするにちがいない。
かたや、日本政府は選挙は政治的空白だという。
国民の意思を示す総選挙を「政治的空白」とあからさまに言われるとは、国民も馬鹿にされたものである。
2008年11月10日(Mon)
オバマ氏と田母神氏、そしてわが日本。
驚いた。オバマ氏がアメリカ大統領になるとは。
1960年代にシドニー・ポワチエという黒人の俳優がいた。
彼の主演した「招かれざる客」や「夜の大走査線」等の映画でアメリカの人種差別の実態を知ったわたしには、黒人が大統領になるとは信じがたい出来事である。
40年程前には、アメリカの黒人は考えられない理由によって殺されていたのである。
そしてまた驚いた。田母神論文である。現職の自衛隊トップ航空幕僚長・田母神氏が「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」(毎日新聞11月1日掲載論文要旨)と述べていたのである。
この論文の背景になっている歴史観は珍しいものではない。
だが、自衛隊最高幹部とその多くの部下たちが、このような歴史観を共有し、任務に従事していたことに驚いたのである。
政府見解と異なり、文民統制の欠如があらわである。あるいは政府の中にも同調する人がいるのかもしれない。氏は「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と言う。だが、日本だけが清廉な国家だったわけでもなかろう。
オバマ大統領の実現によってアメリカは大きな歴史の課題を克服した。
しかし、田母神論文は過去の歴史を都合よく解釈しすぎているように見える。
問題は我が国がこれから何をなすかということだ。
解釈では課題を解決できない。
我が国による「極めて穏健な植民地統治」に感謝しろといわれてもアジアの人びとがあきれるだけだ。
さてこれからオバマ新大統領は我が国にいろいろと要求してくるだろう。
ブッシュ政権時代のように唯々諾々と従ってはいけまい。
世界の安定に寄与する道を双方向的に議論する姿勢をみせてもらいたい。
それこそが、田母神氏のいう東京裁判の「マインドコントロールから解放され」るということだろう。
ところで我が国の政府首脳の目下の急務は田母神論文どころではなく、定額減税ならぬ、定額給付をどうするかということらしい。
金融危機に対処するために総選挙を回避したという事情からすると、なんだかのんびりしているようだが、お願いがある、給付されるクーポン券を税の納付にも使用できるようにしてください。
1960年代にシドニー・ポワチエという黒人の俳優がいた。
彼の主演した「招かれざる客」や「夜の大走査線」等の映画でアメリカの人種差別の実態を知ったわたしには、黒人が大統領になるとは信じがたい出来事である。
40年程前には、アメリカの黒人は考えられない理由によって殺されていたのである。
そしてまた驚いた。田母神論文である。現職の自衛隊トップ航空幕僚長・田母神氏が「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」(毎日新聞11月1日掲載論文要旨)と述べていたのである。
この論文の背景になっている歴史観は珍しいものではない。
だが、自衛隊最高幹部とその多くの部下たちが、このような歴史観を共有し、任務に従事していたことに驚いたのである。
政府見解と異なり、文民統制の欠如があらわである。あるいは政府の中にも同調する人がいるのかもしれない。氏は「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と言う。だが、日本だけが清廉な国家だったわけでもなかろう。
オバマ大統領の実現によってアメリカは大きな歴史の課題を克服した。
しかし、田母神論文は過去の歴史を都合よく解釈しすぎているように見える。
問題は我が国がこれから何をなすかということだ。
解釈では課題を解決できない。
我が国による「極めて穏健な植民地統治」に感謝しろといわれてもアジアの人びとがあきれるだけだ。
さてこれからオバマ新大統領は我が国にいろいろと要求してくるだろう。
ブッシュ政権時代のように唯々諾々と従ってはいけまい。
世界の安定に寄与する道を双方向的に議論する姿勢をみせてもらいたい。
それこそが、田母神氏のいう東京裁判の「マインドコントロールから解放され」るということだろう。
ところで我が国の政府首脳の目下の急務は田母神論文どころではなく、定額減税ならぬ、定額給付をどうするかということらしい。
金融危機に対処するために総選挙を回避したという事情からすると、なんだかのんびりしているようだが、お願いがある、給付されるクーポン券を税の納付にも使用できるようにしてください。
2008年11月10日(Mon)
今月の聖語[平成二十年十一月]
平成二十年十一月の聖語をご紹介します。
=解説=「大善と大悪」(一二七五年文永十二年 聖寿五十四歳)
めでたいしるしやきざしである瑞相(ずいそう)・瑞兆(ずいちょう)は、どうでもよい小事にはおこらず、大事におこる。大事には小瑞(しょうずい)はなく、大瑞(だいずい)があらわれるのである。
一方、小を捨てて大に就くべきであり、小を忍びずば大謀(だいぼう)は無理なこと。大悪の興起(こうき)は大善興起の大瑞と思うべきである。大悪の根源、法華経誹謗(ひぼう)の大謗法(だいほうぼう)が国土に充満している事実は、大正法たる法華経信仰が流布する大瑞相でありその明証(みょうしょう)である。
「魔競わずは正法と知るべからず」なのだから、眼前の大悪は悲歎すべきではなく、逆に喜びである。「舞(まい)をも舞(まい)ぬべし、立(たち)て踊りぬべし」といって弾圧下の門弟を日蓮聖人は鼓舞するのであった。
=解説=「大善と大悪」(一二七五年文永十二年 聖寿五十四歳)
めでたいしるしやきざしである瑞相(ずいそう)・瑞兆(ずいちょう)は、どうでもよい小事にはおこらず、大事におこる。大事には小瑞(しょうずい)はなく、大瑞(だいずい)があらわれるのである。
一方、小を捨てて大に就くべきであり、小を忍びずば大謀(だいぼう)は無理なこと。大悪の興起(こうき)は大善興起の大瑞と思うべきである。大悪の根源、法華経誹謗(ひぼう)の大謗法(だいほうぼう)が国土に充満している事実は、大正法たる法華経信仰が流布する大瑞相でありその明証(みょうしょう)である。
「魔競わずは正法と知るべからず」なのだから、眼前の大悪は悲歎すべきではなく、逆に喜びである。「舞(まい)をも舞(まい)ぬべし、立(たち)て踊りぬべし」といって弾圧下の門弟を日蓮聖人は鼓舞するのであった。
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