2008年12月04日(Thu)
今月の聖語[平成二十年十二月]
平成二十年十二月の聖語をご紹介します。
=解説=「絶大の慰撫」(一二八十年弘安三年 聖寿五十九歳)
佐渡配流の身の日蓮聖人を命を投げ出して庇護した阿仏房の妻千日尼宛の長い手紙の結文。
佐渡・身延の間をいくたびも往来した阿仏房。佐渡にあって苦境の日蓮聖人を懸命に護り助けた阿仏房。人生を信仰を語り明かした阿仏房。その阿仏房が死んだ。弘安二年三月二十一日である。
七月二日、子の藤九郎守綱は父の遺骨を首に掛け身延に登山し、日蓮聖人の草庵のかたわらに埋骨した。今年また七月一日、守綱は墓参に上山した。仏事を営み終えた守綱は、佐渡への帰途につく。島へ帰る子に、島で待つ千日尼への状を日蓮聖人はもたせやる。夫を亡くした妻の別離の悲しみを思いやり、はるばる登詣(とうけい)した孝子をたたえ、その母に、「子にすぎたる財なし」と書き付けた。それはあふれ出る慈愛の言葉であり、絶大の慰撫と激励であった。
=解説=「絶大の慰撫」(一二八十年弘安三年 聖寿五十九歳)
佐渡配流の身の日蓮聖人を命を投げ出して庇護した阿仏房の妻千日尼宛の長い手紙の結文。
佐渡・身延の間をいくたびも往来した阿仏房。佐渡にあって苦境の日蓮聖人を懸命に護り助けた阿仏房。人生を信仰を語り明かした阿仏房。その阿仏房が死んだ。弘安二年三月二十一日である。
七月二日、子の藤九郎守綱は父の遺骨を首に掛け身延に登山し、日蓮聖人の草庵のかたわらに埋骨した。今年また七月一日、守綱は墓参に上山した。仏事を営み終えた守綱は、佐渡への帰途につく。島へ帰る子に、島で待つ千日尼への状を日蓮聖人はもたせやる。夫を亡くした妻の別離の悲しみを思いやり、はるばる登詣(とうけい)した孝子をたたえ、その母に、「子にすぎたる財なし」と書き付けた。それはあふれ出る慈愛の言葉であり、絶大の慰撫と激励であった。
2008年11月10日(Mon)
今月の聖語[平成二十年十一月]
平成二十年十一月の聖語をご紹介します。
=解説=「大善と大悪」(一二七五年文永十二年 聖寿五十四歳)
めでたいしるしやきざしである瑞相(ずいそう)・瑞兆(ずいちょう)は、どうでもよい小事にはおこらず、大事におこる。大事には小瑞(しょうずい)はなく、大瑞(だいずい)があらわれるのである。
一方、小を捨てて大に就くべきであり、小を忍びずば大謀(だいぼう)は無理なこと。大悪の興起(こうき)は大善興起の大瑞と思うべきである。大悪の根源、法華経誹謗(ひぼう)の大謗法(だいほうぼう)が国土に充満している事実は、大正法たる法華経信仰が流布する大瑞相でありその明証(みょうしょう)である。
「魔競わずは正法と知るべからず」なのだから、眼前の大悪は悲歎すべきではなく、逆に喜びである。「舞(まい)をも舞(まい)ぬべし、立(たち)て踊りぬべし」といって弾圧下の門弟を日蓮聖人は鼓舞するのであった。
=解説=「大善と大悪」(一二七五年文永十二年 聖寿五十四歳)
めでたいしるしやきざしである瑞相(ずいそう)・瑞兆(ずいちょう)は、どうでもよい小事にはおこらず、大事におこる。大事には小瑞(しょうずい)はなく、大瑞(だいずい)があらわれるのである。
一方、小を捨てて大に就くべきであり、小を忍びずば大謀(だいぼう)は無理なこと。大悪の興起(こうき)は大善興起の大瑞と思うべきである。大悪の根源、法華経誹謗(ひぼう)の大謗法(だいほうぼう)が国土に充満している事実は、大正法たる法華経信仰が流布する大瑞相でありその明証(みょうしょう)である。
「魔競わずは正法と知るべからず」なのだから、眼前の大悪は悲歎すべきではなく、逆に喜びである。「舞(まい)をも舞(まい)ぬべし、立(たち)て踊りぬべし」といって弾圧下の門弟を日蓮聖人は鼓舞するのであった。
2008年10月01日(Wed)
今月の聖語[平成二十年十月]
平成二十年十月の聖語をご紹介します。
=解説=「功徳」 (一二七五年建治元年 聖寿五十四歳)
この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。
仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。
だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。
=解説=「功徳」 (一二七五年建治元年 聖寿五十四歳)
この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。
仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。
だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。