アーカイブリスト
2008年09月24日(Wed)
虚空山 彼岸寺で大島上人のポッドキャストが配信されています
超宗派仏教徒によるインターネット寺院「虚空山 彼岸寺」において、元刑事で日蓮宗僧侶である大島龍穏上人のポッドキャストがアップされています。
タイトルは「体験から生まれる仏教」。是非、お聴きください。
また、彼岸寺では【平成お寺デートのすすめ】や【時事〜仏教2.0的ニュースコラム】など興味深い連載が掲載されています。
興味のある方は彼岸寺を訪れてみてはいかがでしょうか?
虚空山彼岸寺はこちらからどうぞ。
タイトルは「体験から生まれる仏教」。是非、お聴きください。
また、彼岸寺では【平成お寺デートのすすめ】や【時事〜仏教2.0的ニュースコラム】など興味深い連載が掲載されています。
興味のある方は彼岸寺を訪れてみてはいかがでしょうか?
虚空山彼岸寺はこちらからどうぞ。
2008年09月24日(Wed)
美しい彼岸花
早朝はかなり涼しくなった。
「よいお天気ですね」とあいさつをかわしながら散歩する。
足元の草むらのなかには赤い彼岸花が咲いている。
ほんとうに美しい。
この美しい自然を眺めていると、この地球は宇宙の楽園ではないかと思う。
はるか昔、地球の王者だった恐竜が絶滅したのは、10kmほどの小惑星が地球に衝突したからだろうといわれている。
アメリカの監視組織によると、この百年ほどのうちに地球の近くを通る小惑星があるらしい。
流れ星はしょっちゅうあるのだから、長い間にはかなり大きなものが地球にぶつかったことはあっただろう。
こんなことを考えたのは、今朝拝読した『立正安国論』に「当時(そのとき)虚空のなかに大なる声ありて地に震い、一切みなあまねく動ぜん‥」という大集経の一節が引用されていて(定210頁)、これは小惑星の衝突を伝えたものではないのかと思ったためである。
この地球は一瞬に破壊されるかもしれないとすると、目の前の彼岸花はますます美しくなった。
おごった心を捨てて、宇宙の楽園を楽しみたい。
「よいお天気ですね」とあいさつをかわしながら散歩する。
足元の草むらのなかには赤い彼岸花が咲いている。
ほんとうに美しい。
この美しい自然を眺めていると、この地球は宇宙の楽園ではないかと思う。
はるか昔、地球の王者だった恐竜が絶滅したのは、10kmほどの小惑星が地球に衝突したからだろうといわれている。
アメリカの監視組織によると、この百年ほどのうちに地球の近くを通る小惑星があるらしい。
流れ星はしょっちゅうあるのだから、長い間にはかなり大きなものが地球にぶつかったことはあっただろう。
こんなことを考えたのは、今朝拝読した『立正安国論』に「当時(そのとき)虚空のなかに大なる声ありて地に震い、一切みなあまねく動ぜん‥」という大集経の一節が引用されていて(定210頁)、これは小惑星の衝突を伝えたものではないのかと思ったためである。
この地球は一瞬に破壊されるかもしれないとすると、目の前の彼岸花はますます美しくなった。
おごった心を捨てて、宇宙の楽園を楽しみたい。
2008年09月18日(Thu)
アートの楽園・直島
行きたくてたまらなかった香川県・直島へ行った。
ここは有名な現代美術の島だ。安藤忠雄設計のベネッセハウス・ミュージアムと地中美術館、そして本村地区の家プロジェクトを見てまわった。印象に残ったのは、ジェームス・タレルの作品、とくに地中美術館の「オープン・フィールド」と本村地区の「南寺」だった。光の体験と闇の体験。この二つを自分の身体でまるごと体験する、そういう作品なのだ。
南寺の闇では、目の前の手のひらさえ見えない闇に置かれることが、わたしに恐怖を与えた。オープン・フィールドの光の中へ入るときにも、ゆっくりと足を運んだ。光のなかをゆっくりゆっくり歩く。体験するアートである。
いわゆる臨死体験の闇と光を連想した。闇と光は宗教における二大テーマでもある。この意味で、この二つの作品は現代にあっての宗教の提示ではないか、と私は思った。
このように深刻なことを考えているわたしの前に現れた大竹伸朗の作品「はいしゃ」は楽しかった。子供心にあふれている。こんな家に住みたいな、と思った。
直島はおもしろい島である。
ここは有名な現代美術の島だ。安藤忠雄設計のベネッセハウス・ミュージアムと地中美術館、そして本村地区の家プロジェクトを見てまわった。印象に残ったのは、ジェームス・タレルの作品、とくに地中美術館の「オープン・フィールド」と本村地区の「南寺」だった。光の体験と闇の体験。この二つを自分の身体でまるごと体験する、そういう作品なのだ。
南寺の闇では、目の前の手のひらさえ見えない闇に置かれることが、わたしに恐怖を与えた。オープン・フィールドの光の中へ入るときにも、ゆっくりと足を運んだ。光のなかをゆっくりゆっくり歩く。体験するアートである。
いわゆる臨死体験の闇と光を連想した。闇と光は宗教における二大テーマでもある。この意味で、この二つの作品は現代にあっての宗教の提示ではないか、と私は思った。
このように深刻なことを考えているわたしの前に現れた大竹伸朗の作品「はいしゃ」は楽しかった。子供心にあふれている。こんな家に住みたいな、と思った。
直島はおもしろい島である。
2008年09月12日(Fri)
首相もレンタル
昨今、ふだんとても手の届かない高級品をレンタルして楽しむ人がいるらしい。
車はベンツが6時間4万円、ブランドバッグは1日3千円。
「たまには、いいもんです」とお客は話していた。
考えてみると、私の人生、命でさえもレンタルだ。
仏教の経典『ダンマパダ』第62節にはつぎのように示されている。
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。(『真理のことば・感興のことば』岩波文庫)
このように釈尊は述べられて、度を越えた執着をいましめられたのである。
だがレンタルだからといって、粗末にあつかってはなるまい。
ご縁によってたまたま自分のものになっている、と受け取るところに、ほんとうに命を大事にし、ものを生かす妙味がある。
ところで、つい先日の首相の辞任劇には驚いた。
一年ごとに首相が職務をドタキャンするようでは、首相職もレンタルではないか。いっそのこと、どこかの国の首相経験者をレンタルしてはいかがか。
車はベンツが6時間4万円、ブランドバッグは1日3千円。
「たまには、いいもんです」とお客は話していた。
考えてみると、私の人生、命でさえもレンタルだ。
仏教の経典『ダンマパダ』第62節にはつぎのように示されている。
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。(『真理のことば・感興のことば』岩波文庫)
このように釈尊は述べられて、度を越えた執着をいましめられたのである。
だがレンタルだからといって、粗末にあつかってはなるまい。
ご縁によってたまたま自分のものになっている、と受け取るところに、ほんとうに命を大事にし、ものを生かす妙味がある。
ところで、つい先日の首相の辞任劇には驚いた。
一年ごとに首相が職務をドタキャンするようでは、首相職もレンタルではないか。いっそのこと、どこかの国の首相経験者をレンタルしてはいかがか。
2008年09月05日(Fri)
今月の聖語[平成二十年九月]
平成二十年九月の聖語をご紹介します。
=解説=「試練」 (一二七二年文永九年 聖寿五十一歳)
名刀は鍛えれば鍛えるほど、打てば打つほど出来栄えは見事である。歴史に名をとどめる賢人(けんじん)・聖人(せいじん)も悪口(あっく)雑言(ぞうごん)・罵詈(めり)誹謗(ひぼう)の嵐に耐え、それを試練として自己を磨いていった。悪口(あっく)罵詈(めり)のみならず刀杖(とうじょう)瓦礫(がりゃく)、流(る)罪(ざい)死(し)罪(ざい)がたえまなく見(み)舞(ま)い、それをばねとし試験台(しけんだい)として飛躍(ひやく)していったのが日蓮聖人の歩みであられた。
だからこそ、迫害者(はくがいしゃ)を己を磨き鍛える善知識(ぜんちしき)と言(い)ったのであるが、それは同時(どうじ)に先(せん)業(ごう)の重(じゅう)罪(ざい)を今生(こんじょう)の大難(だいなん)甘受(かんじゅ)を通(とお)して消(しょう)去(きょ)し、未来(みらい)の大苦(だいく)を軽(かる)からしめるという「転(てん)重軽受(じゅうきょうじゅ)」の教(おし)えを踏(ふ)み行(ゆ)くものであった。だから、困苦迫害に身をさらされた歩みは歎き(なげ)ではなかった、との回想の言葉を残されもしたのであった。
=解説=「試練」 (一二七二年文永九年 聖寿五十一歳)
名刀は鍛えれば鍛えるほど、打てば打つほど出来栄えは見事である。歴史に名をとどめる賢人(けんじん)・聖人(せいじん)も悪口(あっく)雑言(ぞうごん)・罵詈(めり)誹謗(ひぼう)の嵐に耐え、それを試練として自己を磨いていった。悪口(あっく)罵詈(めり)のみならず刀杖(とうじょう)瓦礫(がりゃく)、流(る)罪(ざい)死(し)罪(ざい)がたえまなく見(み)舞(ま)い、それをばねとし試験台(しけんだい)として飛躍(ひやく)していったのが日蓮聖人の歩みであられた。
だからこそ、迫害者(はくがいしゃ)を己を磨き鍛える善知識(ぜんちしき)と言(い)ったのであるが、それは同時(どうじ)に先(せん)業(ごう)の重(じゅう)罪(ざい)を今生(こんじょう)の大難(だいなん)甘受(かんじゅ)を通(とお)して消(しょう)去(きょ)し、未来(みらい)の大苦(だいく)を軽(かる)からしめるという「転(てん)重軽受(じゅうきょうじゅ)」の教(おし)えを踏(ふ)み行(ゆ)くものであった。だから、困苦迫害に身をさらされた歩みは歎き(なげ)ではなかった、との回想の言葉を残されもしたのであった。