2009年08月04日(Tue)
尊重の思想ーアーティスト・トミ・ウンゲラーの考え方
雑誌をめくっていると、おお、いいなあ、という記事にめぐりあうことがある。
芸術新潮八月号はトミ・ウンゲラーの特集。
1931年にフランスとドイツの国境地帯アルザスに生まれた。
二つの国が戦争をするたびに国境線が変わるため、ウンゲラーの祖母の国籍は四回も変わったそうだ。
そのためにウンゲラーはドイツ人全員が悪人というわけでもなく、フランスのすることがすべてよかったわけでもないということを幼年期から学んでいる。
第二次大戦後、彼はアメリカにあこがれて、ニューヨークにわたる。
彼はアメリカの黒人が白人と同じ映画館へ入ることも、同じ海岸で泳ぐこともできないことに憤慨して、フアシズムよりもひどいとさえ考えた。(私も、アメリカという国はその奥底にとんでもない魔物を持っていると思う。)
彼はアーティストとしての活動、ポスターや絵本の制作によってアメリカに大きな衝撃を与えた。(彼の活動の詳細はぜひ、芸術新潮を手にとって堪能してもらいたい)
その後、ウンゲラーはカナダに渡り、そのあとアイルランド、そして今は故郷のストラスブールで活動している。
そのなかで彼は「尊重することによって、少しの平和を」というメッセージを発信している。
「平和にいたる唯一の方法は、自分以外の他者について想像をめぐらせ、その存在を尊重することなのですから。今日、テロリズムが蔓延しているのは、アメリカが他者を尊重しなかったからにほかなりません。老人を尊重すること、自然を尊重すること、日々の食べ物を尊重すること‥」(芸術新潮八月号84ページ)
まもなく、八月六日だ。
アメリカがスミソニアン博物館に今なお、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号を展示していることには我慢ならない。
ナチス・ドイツが健在ならば、アウシュビッツ収容所を堂々と展示公開しているだろう。
同じことだ。
大体機長がB29に自分の母親の名前を付けると言うセンスからして想像を絶する。
でも、ウンゲラーのような人もいる。
本宗の「但行礼拝」の運動は、このような現在の状況を視野に入れてなされるべきと思うが、どうだろう。
芸術新潮八月号はトミ・ウンゲラーの特集。
1931年にフランスとドイツの国境地帯アルザスに生まれた。
二つの国が戦争をするたびに国境線が変わるため、ウンゲラーの祖母の国籍は四回も変わったそうだ。
そのためにウンゲラーはドイツ人全員が悪人というわけでもなく、フランスのすることがすべてよかったわけでもないということを幼年期から学んでいる。
第二次大戦後、彼はアメリカにあこがれて、ニューヨークにわたる。
彼はアメリカの黒人が白人と同じ映画館へ入ることも、同じ海岸で泳ぐこともできないことに憤慨して、フアシズムよりもひどいとさえ考えた。(私も、アメリカという国はその奥底にとんでもない魔物を持っていると思う。)
彼はアーティストとしての活動、ポスターや絵本の制作によってアメリカに大きな衝撃を与えた。(彼の活動の詳細はぜひ、芸術新潮を手にとって堪能してもらいたい)
その後、ウンゲラーはカナダに渡り、そのあとアイルランド、そして今は故郷のストラスブールで活動している。
そのなかで彼は「尊重することによって、少しの平和を」というメッセージを発信している。
「平和にいたる唯一の方法は、自分以外の他者について想像をめぐらせ、その存在を尊重することなのですから。今日、テロリズムが蔓延しているのは、アメリカが他者を尊重しなかったからにほかなりません。老人を尊重すること、自然を尊重すること、日々の食べ物を尊重すること‥」(芸術新潮八月号84ページ)
まもなく、八月六日だ。
アメリカがスミソニアン博物館に今なお、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号を展示していることには我慢ならない。
ナチス・ドイツが健在ならば、アウシュビッツ収容所を堂々と展示公開しているだろう。
同じことだ。
大体機長がB29に自分の母親の名前を付けると言うセンスからして想像を絶する。
でも、ウンゲラーのような人もいる。
本宗の「但行礼拝」の運動は、このような現在の状況を視野に入れてなされるべきと思うが、どうだろう。
2009年07月22日(Wed)
マニフェスト
麻生首相の解散宣言の後、世の中は急に騒がしくなった。
私は村上春樹の『1Q84』ブームののち、古書店からここ三十年間に出版された村上の本を集めて読んでいる。
1980年代の何冊かの本はデザインがすぐれているので、手にとって眺めていると非常に愉しい。
『ノルウエーの森』はおもしろかった。
しかし、とくに興味を覚えたのは、十五年前の地下鉄サリン事件を取材した『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』であった。
『アンダーグラウンド』は地下鉄丸の内線・千代田線・日比谷線の各線に乗っていた被害者に聞き取り取材した作品である。
ときどき利用する地下鉄の様子を思い浮かべながら、サリン事件がもたらした被害の深刻さをあらためて認識した。
『約束された場所で』はこれから読む予定だ。
これは加害者側に取材している。
周知の通り、オウムの幹部たちの多くはいわゆるエリートであった。
彼らがこの社会で約束された地位をすてて、なぜあのような事件をおこしたのかという視点から書かれているようである。
非常に興味深い。
さて、マニフェストである。
衆議院の解散と同時に各政党から、おそらくマニュフェストが提示されるにちがいない。
これはいわば国民への「約束された場所」である。
その場所をじっくり吟味したい。
美しい言葉で作り上げられた恐ろしい場所かもしれないから。
思えば宗祖の『立正安国論』は宗教のマニフェストを痛烈に批判したものかもしれない。
私は村上春樹の『1Q84』ブームののち、古書店からここ三十年間に出版された村上の本を集めて読んでいる。
1980年代の何冊かの本はデザインがすぐれているので、手にとって眺めていると非常に愉しい。
『ノルウエーの森』はおもしろかった。
しかし、とくに興味を覚えたのは、十五年前の地下鉄サリン事件を取材した『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』であった。
『アンダーグラウンド』は地下鉄丸の内線・千代田線・日比谷線の各線に乗っていた被害者に聞き取り取材した作品である。
ときどき利用する地下鉄の様子を思い浮かべながら、サリン事件がもたらした被害の深刻さをあらためて認識した。
『約束された場所で』はこれから読む予定だ。
これは加害者側に取材している。
周知の通り、オウムの幹部たちの多くはいわゆるエリートであった。
彼らがこの社会で約束された地位をすてて、なぜあのような事件をおこしたのかという視点から書かれているようである。
非常に興味深い。
さて、マニフェストである。
衆議院の解散と同時に各政党から、おそらくマニュフェストが提示されるにちがいない。
これはいわば国民への「約束された場所」である。
その場所をじっくり吟味したい。
美しい言葉で作り上げられた恐ろしい場所かもしれないから。
思えば宗祖の『立正安国論』は宗教のマニフェストを痛烈に批判したものかもしれない。
2009年06月26日(Fri)
「立正安国論」と村上春樹
村上春樹の小説『1Q84』はたちまちミリオンセラーになった。
知らずに下巻から読んだ人もいたというから、これはもう村上春樹現象である。
しかしわたしは今まで彼の小説やエッセイをまったく読まなかった。
知らなかったのではない。
なぜか手に取らなかった。
二十年前、麻原彰晃の本が書店に平積みされていたとき、『ノルウエーの森』が隣に積まれ、ベストセラーになって、村上春樹の名前が知られるようになった。
しかし、そのときも、それ以後も、彼の本を買うことは無かった。
なぜか、理由は私にも分からないが、たぶん、読む気が起こらなかったのだろう。
二、三の絵本と翻訳ものを除いては。
しかし、その私が昨日今日と、古書店へ行って、小説やエッセイを買い込んできた。
というのも、どうやら村上春樹はこの世界の姿とか生きることの意味を真剣に求めている作家だと、突然、気づいたからだ。
ページをめくっていると、次のような文章が眼に入った。
でも、今僕がいる世界は既に、より高度な資本主義の論理によって成立している世界だった。結局のところ、僕は知らず知らずの内にその世界にすっぽりと呑み込まれてしまっていたのだ。
(1992 『国境の南、太陽の西』 96頁 講談社)
結局のところ、僕らは投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいるのだ。
(2001 『シドニー!』あとがき 文藝春秋)
今年は、日蓮聖人が立正安国論を書かれて750年目にあたる。
聖人は、ただただ勉強したくてお坊さんになったのだという人もいる。
つまり、聖人はこの世界の姿とか生きることの意味を求められたのだ。
あのころのお坊さんは哲学者でもあり、文学者でもあったのだ。
立正安国論や開目抄、そして観心本尊抄にはその姿が反映していると思う。
そういうわけで、立正安国論と村上春樹には共通点があるということだ。
その村上春樹がこんなにも読まれているということは、わが日本人も捨てたものではない。
ちょっと、未来が明るくなってきた。世界には不安の空気がただよっているが、こういうときこそ、真剣に求めている人も多いと思われる。
お寺はがんばらなければならない。
知らずに下巻から読んだ人もいたというから、これはもう村上春樹現象である。
しかしわたしは今まで彼の小説やエッセイをまったく読まなかった。
知らなかったのではない。
なぜか手に取らなかった。
二十年前、麻原彰晃の本が書店に平積みされていたとき、『ノルウエーの森』が隣に積まれ、ベストセラーになって、村上春樹の名前が知られるようになった。
しかし、そのときも、それ以後も、彼の本を買うことは無かった。
なぜか、理由は私にも分からないが、たぶん、読む気が起こらなかったのだろう。
二、三の絵本と翻訳ものを除いては。
しかし、その私が昨日今日と、古書店へ行って、小説やエッセイを買い込んできた。
というのも、どうやら村上春樹はこの世界の姿とか生きることの意味を真剣に求めている作家だと、突然、気づいたからだ。
ページをめくっていると、次のような文章が眼に入った。
でも、今僕がいる世界は既に、より高度な資本主義の論理によって成立している世界だった。結局のところ、僕は知らず知らずの内にその世界にすっぽりと呑み込まれてしまっていたのだ。
(1992 『国境の南、太陽の西』 96頁 講談社)
結局のところ、僕らは投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいるのだ。
(2001 『シドニー!』あとがき 文藝春秋)
今年は、日蓮聖人が立正安国論を書かれて750年目にあたる。
聖人は、ただただ勉強したくてお坊さんになったのだという人もいる。
つまり、聖人はこの世界の姿とか生きることの意味を求められたのだ。
あのころのお坊さんは哲学者でもあり、文学者でもあったのだ。
立正安国論や開目抄、そして観心本尊抄にはその姿が反映していると思う。
そういうわけで、立正安国論と村上春樹には共通点があるということだ。
その村上春樹がこんなにも読まれているということは、わが日本人も捨てたものではない。
ちょっと、未来が明るくなってきた。世界には不安の空気がただよっているが、こういうときこそ、真剣に求めている人も多いと思われる。
お寺はがんばらなければならない。