2008年06月13日(Fri)
カラヤン嫌い、あるいは法華経嫌いについて
クラッシック音楽界の帝王といわれたカラヤンを嫌いだという人が多い。
そのためもあって私のカラヤンのCDもわずか四、五枚。
しかし、先日テレビで天野祐吉氏のカラヤン絶賛の弁を聞いて、カラヤンを聴き直して見た。
なるほど、すばらしい。
これに比べるといっときほれ込んでいた巨匠の演奏は酔っ払いの歩行のように思えた。もとより、素人の感想である。カラヤンはヨーロッパ音楽の伝統を体現した人だろう。商売人は彼をけなさなければ商売にならなかったというほどのものだろう。
それで連想したのが、経王といわれる法華経を嫌う人が多いことだ。
とくに浄土思想が隆盛してからのこと。しかし、法華経を読んだうえで嫌っているのだろうか。
もっと言うと、法華経を信じているという人も、はたしてよく読みこんで、そう思っているのだろうか。
私も反省して、法華経のすばらしさを実感、納得するために本気で読んでいるこのごろである。
そのためもあって私のカラヤンのCDもわずか四、五枚。
しかし、先日テレビで天野祐吉氏のカラヤン絶賛の弁を聞いて、カラヤンを聴き直して見た。
なるほど、すばらしい。
これに比べるといっときほれ込んでいた巨匠の演奏は酔っ払いの歩行のように思えた。もとより、素人の感想である。カラヤンはヨーロッパ音楽の伝統を体現した人だろう。商売人は彼をけなさなければ商売にならなかったというほどのものだろう。
それで連想したのが、経王といわれる法華経を嫌う人が多いことだ。
とくに浄土思想が隆盛してからのこと。しかし、法華経を読んだうえで嫌っているのだろうか。
もっと言うと、法華経を信じているという人も、はたしてよく読みこんで、そう思っているのだろうか。
私も反省して、法華経のすばらしさを実感、納得するために本気で読んでいるこのごろである。