2007年05月01日(Tue)
今月の聖語[平成十九年五月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。