2010年07月14日(Wed)
今月の聖語[平成二十二年七月]
平成二十二年七月の聖語をご紹介します。
=解説=「本当の信心」文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
『立正安国論』のこの部分は「人は皆、救われたいと言う同じ信心を持っている。しかしその信心の故に、妄りに邪な言葉を貴んでしまう。凡夫とは悲しい生きものだ」と、厳しく叱りながらも、心配し、慈悲に溢れた親心を示しています。
凡夫と言う普通の人間は、正しいと信じて、純粋に間違いを犯してしまいます。たとえば、エスカレーターの乗り方です。右か左を空けて、急ぐ人に譲るのがマナーですが、左右どちらを空けるのが正しいのでしょうか?と論じられる姿とよく似ているのです。答えは、左右どちらでもありません。エスカレーターは真ん中に立つ設計になっています。片寄った立ち方は故障のもとであり、その上、歩くのは、もってのほかです。してはいけない行為なのです。しかし真ん中に立つと言う正しい行動は、間違いを固く信じている多くの人々には受け入れられません。
人には、人の役に立とうとする心があります。しかしそれが、必ずしも正しいとは限らないのです。信心もそうです。だからこそ「汝早く信仰の寸心を改めて」と一切衆生を救済する深いメッセージが『立正安国論』に示されたのです。
=解説=「本当の信心」文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
『立正安国論』のこの部分は「人は皆、救われたいと言う同じ信心を持っている。しかしその信心の故に、妄りに邪な言葉を貴んでしまう。凡夫とは悲しい生きものだ」と、厳しく叱りながらも、心配し、慈悲に溢れた親心を示しています。
凡夫と言う普通の人間は、正しいと信じて、純粋に間違いを犯してしまいます。たとえば、エスカレーターの乗り方です。右か左を空けて、急ぐ人に譲るのがマナーですが、左右どちらを空けるのが正しいのでしょうか?と論じられる姿とよく似ているのです。答えは、左右どちらでもありません。エスカレーターは真ん中に立つ設計になっています。片寄った立ち方は故障のもとであり、その上、歩くのは、もってのほかです。してはいけない行為なのです。しかし真ん中に立つと言う正しい行動は、間違いを固く信じている多くの人々には受け入れられません。
人には、人の役に立とうとする心があります。しかしそれが、必ずしも正しいとは限らないのです。信心もそうです。だからこそ「汝早く信仰の寸心を改めて」と一切衆生を救済する深いメッセージが『立正安国論』に示されたのです。
2010年06月04日(Fri)
今月の聖語[平成二十二年六月]
平成二十二年六月の聖語をご紹介します。
=解説=「教主釈尊」文永七年(一二七〇年 聖寿四十九歳)
教主釈尊。文字通り仏教の教えの主は釈迦牟尼如来ご一人。釈迦仏は教えの師匠。われらにとって我師と呼べるただご一人。ご一代のあいだ、八万余の教法を示された大説法者・大教導師である。
我師釈迦如来は、われらの住むこの娑婆世界にまだ仏が出現なされていない暗黒時代、その無仏の世に、最初にお出ましになられ、われらの盲た眼、無明にとざされた凡眼を開いて、智慧の眼に目覚めさせてくだされた御仏である。尊貴無上の大聖者・大覚者であられる。
おもうに、東西南北、天地十方に数多の諸仏諸菩薩が遍在するが、それらはみなただ一人の教主釈尊、我師釈迦如来の教えをうけたもの、その享受者である。
要するに、教主釈尊こそ人類の教主・救主なのである。
=解説=「教主釈尊」文永七年(一二七〇年 聖寿四十九歳)
教主釈尊。文字通り仏教の教えの主は釈迦牟尼如来ご一人。釈迦仏は教えの師匠。われらにとって我師と呼べるただご一人。ご一代のあいだ、八万余の教法を示された大説法者・大教導師である。
我師釈迦如来は、われらの住むこの娑婆世界にまだ仏が出現なされていない暗黒時代、その無仏の世に、最初にお出ましになられ、われらの盲た眼、無明にとざされた凡眼を開いて、智慧の眼に目覚めさせてくだされた御仏である。尊貴無上の大聖者・大覚者であられる。
おもうに、東西南北、天地十方に数多の諸仏諸菩薩が遍在するが、それらはみなただ一人の教主釈尊、我師釈迦如来の教えをうけたもの、その享受者である。
要するに、教主釈尊こそ人類の教主・救主なのである。
2010年05月07日(Fri)
今月の聖語[平成二十二年五月]
平成二十二年五月の聖語をご紹介します。
=解説=「報恩行」弘長二年(一二六二年 聖寿四十一歳)
日蓮聖人の言動を心よく思わぬ人びとは、日蓮聖人をおとしいれようとして悪口を吐き告発した。幕府は人びとの讒言を容れて伊豆の国伊東への流罪に処した。「伊豆法難」である。日蓮聖人四十歳、弘長元年五月のことであった。
流人日蓮聖人は、配流の身の逆境を順境におきかえ、法華経修行にいそしむことができた。かかる果報をもたらせたのは、讒言者たちのお陰であり、国王である執権北条政権の恩恵である。それゆえ国権発動の迫害者である彼等は、日蓮聖人にとってかえって「恩深き人」である。日蓮聖人は己が身を害し仇なす者への遺恨を放擲し、迫害者を賞揚したのである。仇を恩で報い、敵を味方と日蓮聖人は感受されたのであった。
仏教者の歩むべき大道に「四恩」への報謝がある。「四恩」には衆生の恩、国王の恩がある。「伊豆法難」は、感恩報謝の思いを深めさせ、報恩の実践、「報恩行」の自己貫徹日蓮聖人の思索の中に深々と抱懐させたのである。『四恩鈔』は配所伊豆における著作であった。
=解説=「報恩行」弘長二年(一二六二年 聖寿四十一歳)
日蓮聖人の言動を心よく思わぬ人びとは、日蓮聖人をおとしいれようとして悪口を吐き告発した。幕府は人びとの讒言を容れて伊豆の国伊東への流罪に処した。「伊豆法難」である。日蓮聖人四十歳、弘長元年五月のことであった。
流人日蓮聖人は、配流の身の逆境を順境におきかえ、法華経修行にいそしむことができた。かかる果報をもたらせたのは、讒言者たちのお陰であり、国王である執権北条政権の恩恵である。それゆえ国権発動の迫害者である彼等は、日蓮聖人にとってかえって「恩深き人」である。日蓮聖人は己が身を害し仇なす者への遺恨を放擲し、迫害者を賞揚したのである。仇を恩で報い、敵を味方と日蓮聖人は感受されたのであった。
仏教者の歩むべき大道に「四恩」への報謝がある。「四恩」には衆生の恩、国王の恩がある。「伊豆法難」は、感恩報謝の思いを深めさせ、報恩の実践、「報恩行」の自己貫徹日蓮聖人の思索の中に深々と抱懐させたのである。『四恩鈔』は配所伊豆における著作であった。