アーカイブリスト
2008年10月09日(Thu)
宗教法人のすきま活動
9月3日に日蓮宗宗務院講堂で社会教化事業講習会があった。
その報告書を眼にする機会があり、立正大学清水海隆師が「社会における宗教法人の公益性」と題する講演のなかで提起した「すきま活動の実践を」には、私の経験からおおいに共感した。
清水師は「寺院が公益性を発揮するには、行政には公平性や一律性が求められるため受けて側に自ずとすきまが生じる。そこでできたすきまを補うことで公益性が発揮できるのではないか」と提案されている。
私の経験とは、家内の交通事故である。
私の家内は約三年前、交差点で信号待ちをしているときに追突され「頚椎捻挫7日間」と診断された。ところが3ヶ月たっても4ヶ月たっても頚椎の痛みは増すばかりで改善しなかった。
そこで違う病院を受診したところ「脳脊髄液減少症」と診断された。
そこで2回の手術を含め治療に専念し、事故から2ヵ年あまりが経過してやっと日常生活に支障がないところまで回復した。
ところがこの「脳脊髄液減少症」という病気は厚労省が病気として認定していないことから、これまでも損害保険会社とは不愉快な交渉を長く続けていたのであるが、やはり治療費等は支払いを拒否するという通知を受けたのである。
このなんとしても納得できない非常に不条理で不愉快な経験のなかで、私と家内はこの3年間まさに社会に口を開けている「すきま」に落ち込んでもがき苦しんだという思いを味わった。
いざとなったらなかなか相談するところはないものである。
行政の相談所はおざなりでまったく役には立たなかった。
この病気について承知している弁護士もいなかった。
厚労省が認定していないことから、損保会社の対応はまったく冷たく、人の生命にかかわる仕事に従事している企業とは思えなかった。
おそらく会社の理念を忘れ、収益の運用にしか興味がないのではないのか。
また伝え聞いたところでは、被害者であるこの病気の患者を裁判沙汰に持ち込むこともままあるようだ。厚労省にいたっては厚労省の認めないこの病気の治療に一生懸命になっているある国立医療センターの医療部門を廃止にしてやるといきまいたという。
まさに行政と国民との間には大きな大きな「すきま」が口を開けているのである。
この「すきま」に落ち込んで苦しんでいる人の相談相手になるのは、寺院の活動としてまことにふさわしいと思う。
原爆症の認定や肝炎の認定問題だけでもたいへんだが、それらは氷山の一角である。
マスコミにも取り上げられず、行政や企業を相手に孤独な戦いをしている人は我々の檀信徒のなかにもきっといるはずである。
「すきま」に落ち込んだ人に手を差し伸べようではないか。
その報告書を眼にする機会があり、立正大学清水海隆師が「社会における宗教法人の公益性」と題する講演のなかで提起した「すきま活動の実践を」には、私の経験からおおいに共感した。
清水師は「寺院が公益性を発揮するには、行政には公平性や一律性が求められるため受けて側に自ずとすきまが生じる。そこでできたすきまを補うことで公益性が発揮できるのではないか」と提案されている。
私の経験とは、家内の交通事故である。
私の家内は約三年前、交差点で信号待ちをしているときに追突され「頚椎捻挫7日間」と診断された。ところが3ヶ月たっても4ヶ月たっても頚椎の痛みは増すばかりで改善しなかった。
そこで違う病院を受診したところ「脳脊髄液減少症」と診断された。
そこで2回の手術を含め治療に専念し、事故から2ヵ年あまりが経過してやっと日常生活に支障がないところまで回復した。
ところがこの「脳脊髄液減少症」という病気は厚労省が病気として認定していないことから、これまでも損害保険会社とは不愉快な交渉を長く続けていたのであるが、やはり治療費等は支払いを拒否するという通知を受けたのである。
このなんとしても納得できない非常に不条理で不愉快な経験のなかで、私と家内はこの3年間まさに社会に口を開けている「すきま」に落ち込んでもがき苦しんだという思いを味わった。
いざとなったらなかなか相談するところはないものである。
行政の相談所はおざなりでまったく役には立たなかった。
この病気について承知している弁護士もいなかった。
厚労省が認定していないことから、損保会社の対応はまったく冷たく、人の生命にかかわる仕事に従事している企業とは思えなかった。
おそらく会社の理念を忘れ、収益の運用にしか興味がないのではないのか。
また伝え聞いたところでは、被害者であるこの病気の患者を裁判沙汰に持ち込むこともままあるようだ。厚労省にいたっては厚労省の認めないこの病気の治療に一生懸命になっているある国立医療センターの医療部門を廃止にしてやるといきまいたという。
まさに行政と国民との間には大きな大きな「すきま」が口を開けているのである。
この「すきま」に落ち込んで苦しんでいる人の相談相手になるのは、寺院の活動としてまことにふさわしいと思う。
原爆症の認定や肝炎の認定問題だけでもたいへんだが、それらは氷山の一角である。
マスコミにも取り上げられず、行政や企業を相手に孤独な戦いをしている人は我々の檀信徒のなかにもきっといるはずである。
「すきま」に落ち込んだ人に手を差し伸べようではないか。
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