2007年12月01日(Sat)
今月の聖語[平成十九年十二月]
平成十九年十二月の聖語をご紹介します。
=解説=約束 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
信仰とはつらいものである。信とは無疑という。無疑の信をつらぬくことは、ほとほと至難である。信仰には多くの困難がつきまとう。内なる心の反乱もあり、外からの圧迫もある。信仰は迫害とつれそうといえよう。だから日蓮聖人は、弟子たちに朝に夕に教えていた。信仰することの持続の困難を。
人間は弱い。土壇場、ぎりぎり結着の場にさらされて、そこで本当の強弱が知られ真価がためされる。
人は弱い。つたなき者=拙者だ。拙者の習い性は、肝心の時に肝心の約束を放棄し忘れはててしまう。
真の時を生きようではないか。約束を履行しようではないか。仏との約束を、おのれとの約束を。
=解説=約束 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
信仰とはつらいものである。信とは無疑という。無疑の信をつらぬくことは、ほとほと至難である。信仰には多くの困難がつきまとう。内なる心の反乱もあり、外からの圧迫もある。信仰は迫害とつれそうといえよう。だから日蓮聖人は、弟子たちに朝に夕に教えていた。信仰することの持続の困難を。
人間は弱い。土壇場、ぎりぎり結着の場にさらされて、そこで本当の強弱が知られ真価がためされる。
人は弱い。つたなき者=拙者だ。拙者の習い性は、肝心の時に肝心の約束を放棄し忘れはててしまう。
真の時を生きようではないか。約束を履行しようではないか。仏との約束を、おのれとの約束を。
2007年11月01日(Thu)
今月の聖語[平成十九年十一月]
平成十九年十一月の聖語をご紹介します。
=解説=獄中の弟子達へ 文永八年(一二七一年聖寿五十歳)
このお手紙は、文永八年十月九日、沈々たる静夜、粛殺たる冷気の中、日蓮聖人が佐渡へと流される前日に、とらわれの愛弟子日朗に別離と慰撫の状としてしたためられたものである。
明日、北海の孤島佐渡へ流され行く。氷雪に肌を交える流人生活がはじまる。当時の佐渡は、魔の島・死の島である。死に行くおのが身を忘れはてて日蓮聖人は獄舎につながれている弟子の身の上に思いをそそぐ。獄中の日朗よ、陰惨な土の牢に受難に耐える弟子達よ。法の故に恐怖の日々をすごす弟子達よ。幽閉の弟子へ師として語り継げる言葉は濃(こま)やかな心情にあふれている。その言葉は短簡で少ないが、沈黙の余韻は響き無量である。
=解説=獄中の弟子達へ 文永八年(一二七一年聖寿五十歳)
このお手紙は、文永八年十月九日、沈々たる静夜、粛殺たる冷気の中、日蓮聖人が佐渡へと流される前日に、とらわれの愛弟子日朗に別離と慰撫の状としてしたためられたものである。
明日、北海の孤島佐渡へ流され行く。氷雪に肌を交える流人生活がはじまる。当時の佐渡は、魔の島・死の島である。死に行くおのが身を忘れはてて日蓮聖人は獄舎につながれている弟子の身の上に思いをそそぐ。獄中の日朗よ、陰惨な土の牢に受難に耐える弟子達よ。法の故に恐怖の日々をすごす弟子達よ。幽閉の弟子へ師として語り継げる言葉は濃(こま)やかな心情にあふれている。その言葉は短簡で少ないが、沈黙の余韻は響き無量である。
2007年10月01日(Mon)
今月の聖語 [平成十九年十月]
平成十九年十月の聖語をご紹介します。
=解説=娑婆即寂光浄土 文永元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
「国土泰平・天下安穏」は全ての人が願い望むところ。仏の教えは現実社会の仏土化、娑婆と呼ばれるこの世を仏の国土、仏国土とすること。娑婆の浄土化、娑婆即寂光浄土を目指すために仏教はある。
極苦のこの世を離れて他に求むべき極楽はない。だから、この世からの逃避・脱出は責任の放棄。この世にふみとどまって仏土建設に献身することが、仏教徒の仕業。そのことを日蓮聖人は、経文に準拠してこもごも語る。「経文顕然なり。私の詞(ことば)、何ぞ加えん」「文に就て世を見るに誠に以て然(しか)なり」となどと。経文と現実は符合する。
=解説=娑婆即寂光浄土 文永元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
「国土泰平・天下安穏」は全ての人が願い望むところ。仏の教えは現実社会の仏土化、娑婆と呼ばれるこの世を仏の国土、仏国土とすること。娑婆の浄土化、娑婆即寂光浄土を目指すために仏教はある。
極苦のこの世を離れて他に求むべき極楽はない。だから、この世からの逃避・脱出は責任の放棄。この世にふみとどまって仏土建設に献身することが、仏教徒の仕業。そのことを日蓮聖人は、経文に準拠してこもごも語る。「経文顕然なり。私の詞(ことば)、何ぞ加えん」「文に就て世を見るに誠に以て然(しか)なり」となどと。経文と現実は符合する。