2009年04月13日(Mon)
醍醐桜を見る
タレントの一言は恐ろしい。
タモリが「日本一の桜は岡山北部の醍醐桜だと思う」と言ったものだから、行こうということになった。
中国自動車道・北房でおりて三十分。
車をとめてゆっくり登っていくと、かなたに醍醐桜。
千年桜ともいい、後醍醐天皇が愛でたと伝わる。
五分咲きだった。彼岸桜の一種だという。ソメイヨシノと比べて花は小さい。きりっとしている。主幹からは霊気がただよう。その貫禄は近くに植えられた二代目醍醐桜と比べれば、一目瞭然。
芝生にころがって醍醐桜を眺めると快い。千年の樹とくらべて私たちの命のなんとはかないことか。春の気配の中で、この樹と再び会うことができるのだろうかと感慨にひたった。
岡山へと向かう途中で、高梁・備中松山城に登った。
日本一高い山城だそうだ。海抜五百メートル弱。断崖絶壁上に天守閣がある。
車をとめて、七百メートルほど息をきらしてたどり着いた。内部に入ると、城主の間があった。
ここで最期を迎えた一族もあったのかもしれない。
醍醐桜とはちがう霊気がただよっていた。
霊気を感じるとき、私自身のいのちの大きさを、同時に感じるような思いがした。
気分のよい旅だった。
タモリが「日本一の桜は岡山北部の醍醐桜だと思う」と言ったものだから、行こうということになった。
中国自動車道・北房でおりて三十分。
車をとめてゆっくり登っていくと、かなたに醍醐桜。
千年桜ともいい、後醍醐天皇が愛でたと伝わる。
五分咲きだった。彼岸桜の一種だという。ソメイヨシノと比べて花は小さい。きりっとしている。主幹からは霊気がただよう。その貫禄は近くに植えられた二代目醍醐桜と比べれば、一目瞭然。
芝生にころがって醍醐桜を眺めると快い。千年の樹とくらべて私たちの命のなんとはかないことか。春の気配の中で、この樹と再び会うことができるのだろうかと感慨にひたった。
岡山へと向かう途中で、高梁・備中松山城に登った。
日本一高い山城だそうだ。海抜五百メートル弱。断崖絶壁上に天守閣がある。
車をとめて、七百メートルほど息をきらしてたどり着いた。内部に入ると、城主の間があった。
ここで最期を迎えた一族もあったのかもしれない。
醍醐桜とはちがう霊気がただよっていた。
霊気を感じるとき、私自身のいのちの大きさを、同時に感じるような思いがした。
気分のよい旅だった。
2009年04月07日(Tue)
桜の霊気
早朝、散歩のまえにテレビをつけると、京都の桜守といわれる佐野藤右衛門さんへのインタビュー。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。
「桜の木には霊気があるんですよ。妖気かな。それにあたったことがありまして、病気になって、桜の木にお詫びに行ったら、直りました。世の中には分からんことがたくさんあります」と語っていた。
また、こんなことも。
「脳死の人を植物状態というでしょう。あのことばは嫌いなんです。植物に失礼ですよ。植物には意識があります。一生懸命に生きようとする意志があります。自然を冒涜したことばです」
とも。
心に残った言葉である。
そのあと公園を散歩すると桜の木が七分咲き。
花のしたで、「きれいだね」と声にした。
なんだか桜に伝わったようだった。
そして、つい先日、私自身にあった不思議な一瞬を思い出していた。
私は古い物が好きで、東京・目白の古道具Sへよく行く。しかし、ここしばらくはご無沙汰していた。
そのSさんのことを、『芸術新潮』の今月号は特集を組んでいる。題して「パリと骨董」。
私は発売日の朝、書店でその雑誌を広げた。
Sさんがこの冬パリでもとめた品物が何点か掲載されていた。
その中の緑秞の角皿が私の眼を惹いた。
「ああ、いい緑色だな」と思った。
昨年、同じ手のものを買い逃したことがあった。
まだ、お店にあるかもしれないと感じて、その角皿の特徴を眼に焼き付けた。
不思議に強く角皿のことを思ったのだった。
そしてその日の夕方、ひさしぶりに目白のSさんのお店へ行くと、その角皿があった。
「これは、芸術新潮に掲載されているモノですね」と伺うと、「そうですよ」とのこと。
信じられない思いで予約した。
後で聞いたところでは、つぎの日には問い合わせがあったとのこと。
今でも不思議に思うのは、書店で雑誌を広げ、その緑色の角皿を眼にしたときの、強い印象である。
「それはある」と、確信に似た気持ちで私が感じたことである。
モノが呼ぶということはあるのである。
2009年03月31日(Tue)
絵本の読み語り
お参りの檀信徒に宮沢賢治の童話を紙芝居で楽しんでいただく。
二、三度くりかえすと上手にはなるが、なかには重ねて聞く人も居る。
そこで、これも以前から考えていた絵本の読み語りをはじめた。
見台に絵本を置いて、コピーした文章を手元にもって読みながら絵本をめくる。
絵と文章と内容がふさわしいと充分に聞いてもらえる。
しかし、三拍子そろった絵本は少ない。
柳田邦男さんの『砂漠でみつけた一冊の絵本』(岩波書店)などを参考にしているが、この本で推薦されている絵本でも、実際に手にとって開いてみると、採用できるものはすくない。
書店や古本屋をまわって、求めたものをあげておく。
『ウエン王子とトラ』(徳間書店)
『郵便局員ねこ』(ほるぷ出版)
『ひさの星』(岩崎書店)
『紙しばい屋さん』(ほるぷ出版)
『100万回生きたねこ』(講談社)
『黒ねこのおきゃくさま』(福音館書店)‥
柳田さんは心を耕すために大人にこそ読んでもらいたいと言う。
ともかく気に入る絵本を探すことは愉しいものです。
二、三度くりかえすと上手にはなるが、なかには重ねて聞く人も居る。
そこで、これも以前から考えていた絵本の読み語りをはじめた。
見台に絵本を置いて、コピーした文章を手元にもって読みながら絵本をめくる。
絵と文章と内容がふさわしいと充分に聞いてもらえる。
しかし、三拍子そろった絵本は少ない。
柳田邦男さんの『砂漠でみつけた一冊の絵本』(岩波書店)などを参考にしているが、この本で推薦されている絵本でも、実際に手にとって開いてみると、採用できるものはすくない。
書店や古本屋をまわって、求めたものをあげておく。
『ウエン王子とトラ』(徳間書店)
『郵便局員ねこ』(ほるぷ出版)
『ひさの星』(岩崎書店)
『紙しばい屋さん』(ほるぷ出版)
『100万回生きたねこ』(講談社)
『黒ねこのおきゃくさま』(福音館書店)‥
柳田さんは心を耕すために大人にこそ読んでもらいたいと言う。
ともかく気に入る絵本を探すことは愉しいものです。