2006年12月04日(Mon)
今月の聖語[平成十八年十二月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「仏法主体」弘安元年 聖寿五十六歳
このお言葉の前には、「経王、国に失せしかば、世王又たえて、或は大王臣下におかされ、或は他国にあなづられ、終に主なき国となりぬ」とある。また、後続文は「体曲がれば影斜めなり」とある。
「経王」とは諸経の中の王・法華経。「世王」とは世俗社会の王で国の主権者。経王が正しく受容されそのことによって王権の安定、社会の平安が保たれる。影は本体の反映であるから必然、法の乱れは、国の乱れに直結する。ここの道理が乱れると内乱・下剋上がおこり、他国の侵略に国破れ、ついに主なき亡国となりおわる。
世に正しい道理が守られ、政治が正しい理念に基づかなければならない。正しい道理・理念とは正法であり経王に基づくことである。
ものみな全て「仏法は主体」である。
=解説=「仏法主体」弘安元年 聖寿五十六歳
このお言葉の前には、「経王、国に失せしかば、世王又たえて、或は大王臣下におかされ、或は他国にあなづられ、終に主なき国となりぬ」とある。また、後続文は「体曲がれば影斜めなり」とある。
「経王」とは諸経の中の王・法華経。「世王」とは世俗社会の王で国の主権者。経王が正しく受容されそのことによって王権の安定、社会の平安が保たれる。影は本体の反映であるから必然、法の乱れは、国の乱れに直結する。ここの道理が乱れると内乱・下剋上がおこり、他国の侵略に国破れ、ついに主なき亡国となりおわる。
世に正しい道理が守られ、政治が正しい理念に基づかなければならない。正しい道理・理念とは正法であり経王に基づくことである。
ものみな全て「仏法は主体」である。
2006年11月01日(Wed)
今月の聖語[平成十八年十一月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「大果の成就」文永八年(一二七一年 聖寿五十歳)
仏教習学に従事するということは、仏道の大道を会得して自身が仏となり、ひいては恩ある人々を仏道へすすめて大果を成就して欲しいと念願するためである。
この文は、日蓮聖人が、流人として佐渡島へ発つにあたり故旧の人々にあてた別離の手紙の一節である。仏道成就はあだやおろそかではなし得ない。かりそめごとではなし難い。「決死殉教の勇猛心」の必要を国家の罪人と扱われ佐渡へ赴く日蓮聖人は、体感した。「仏になる道は、必ず身命をす(捨)つるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ」と、一節は続く。
述懐の言葉がまことに重い。
=解説=「大果の成就」文永八年(一二七一年 聖寿五十歳)
仏教習学に従事するということは、仏道の大道を会得して自身が仏となり、ひいては恩ある人々を仏道へすすめて大果を成就して欲しいと念願するためである。
この文は、日蓮聖人が、流人として佐渡島へ発つにあたり故旧の人々にあてた別離の手紙の一節である。仏道成就はあだやおろそかではなし得ない。かりそめごとではなし難い。「決死殉教の勇猛心」の必要を国家の罪人と扱われ佐渡へ赴く日蓮聖人は、体感した。「仏になる道は、必ず身命をす(捨)つるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ」と、一節は続く。
述懐の言葉がまことに重い。
2006年10月01日(Sun)
今月の聖語[平成十八年十月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「最高の教え」弘安四年 (一二八一年 聖寿六十歳)
「法華経は一切経の中で最高の教えである」とは、日蓮聖人の仏教受容・仏典認識の揺るがぬ明断である。
法華経の絶大な尊貴性に対比して日蓮聖人は自分を悪き者・エセ者と卑下抑制する。掲示文の前に「日蓮は悪き者にて候へども」と言い、さらに強く「日蓮は日本第一のエセ者也」ともいわれる。そんなどうしようもない悪者・救われがたいエセ者の自分が法華経に救われて仏になることは、至高の法悦である。そこから法華経の無上絶対性の保証の言葉が生まれ、救済力の偉大さ・絶大さを告げる讃辞となる。
被救済者が劣悪であれば劣悪であるほど法の救済力は高まる。法の至尊を讃えてやまぬ日蓮聖人のお言葉は多く、「法華経は一切経に勝れ給へる経也」とは、心からの実感であり、人々にしみじみと告知する讃歎の辞である。
=解説=「最高の教え」弘安四年 (一二八一年 聖寿六十歳)
「法華経は一切経の中で最高の教えである」とは、日蓮聖人の仏教受容・仏典認識の揺るがぬ明断である。
法華経の絶大な尊貴性に対比して日蓮聖人は自分を悪き者・エセ者と卑下抑制する。掲示文の前に「日蓮は悪き者にて候へども」と言い、さらに強く「日蓮は日本第一のエセ者也」ともいわれる。そんなどうしようもない悪者・救われがたいエセ者の自分が法華経に救われて仏になることは、至高の法悦である。そこから法華経の無上絶対性の保証の言葉が生まれ、救済力の偉大さ・絶大さを告げる讃辞となる。
被救済者が劣悪であれば劣悪であるほど法の救済力は高まる。法の至尊を讃えてやまぬ日蓮聖人のお言葉は多く、「法華経は一切経に勝れ給へる経也」とは、心からの実感であり、人々にしみじみと告知する讃歎の辞である。