2008年06月10日(Tue)
映画「靖国」と「アンカー展」を観る
広島で映画「靖国」を観た。
「騒ぎはありましたか」と係員にたずねると「なんにも」と。
七割くらいの観客。年配の夫婦と、そして反対に若い人も目立つ。
ドキュメンタリ手法で描かれるものは、一口で言うと日本人の情念。
この情念がないと国としてまとまらないであろうし、ふたたび戦争をくりかえすかもしれない人間の悲しみのようなものが、観ているわたしの内面に浮かんでくる。
だが、それはグレツキの音楽のためだったかもしれない。
それから二、三日して京都へ行った折、駅ビルでスイスの画家・アンカーの絵を観た。百年余り前の彼の故郷スイスの人びとを愛情をもって描いた絵。
静謐な空気に支配された会場。映画「靖国」で描かれた靖国神社は喧騒に支配されていた。靖国神社が静謐な空気にたたずむ日の来ることを願う。
「騒ぎはありましたか」と係員にたずねると「なんにも」と。
七割くらいの観客。年配の夫婦と、そして反対に若い人も目立つ。
ドキュメンタリ手法で描かれるものは、一口で言うと日本人の情念。
この情念がないと国としてまとまらないであろうし、ふたたび戦争をくりかえすかもしれない人間の悲しみのようなものが、観ているわたしの内面に浮かんでくる。
だが、それはグレツキの音楽のためだったかもしれない。
それから二、三日して京都へ行った折、駅ビルでスイスの画家・アンカーの絵を観た。百年余り前の彼の故郷スイスの人びとを愛情をもって描いた絵。
静謐な空気に支配された会場。映画「靖国」で描かれた靖国神社は喧騒に支配されていた。靖国神社が静謐な空気にたたずむ日の来ることを願う。
2008年06月02日(Mon)
紙芝居
銀座の教文館書店と聖書館とのあいだに本といっしょに紙芝居が展示してあった。近代布教の当初、聖書の物語を伝えるために紙芝居を用いたのである。テレビが普及する以前、自転車の荷台の紙芝居について歩いたことをなつかしく思い出す。
新宿三越・ジュンク堂で紙芝居の舞台を見つけると、思わずもとめた。
宮沢賢治の童話をいれて紙芝居師の真似をするわたしを家族はニヤニヤしながら見ている。保育所で見た紙芝居を思い出しているようだ。
新宿三越・ジュンク堂で紙芝居の舞台を見つけると、思わずもとめた。
宮沢賢治の童話をいれて紙芝居師の真似をするわたしを家族はニヤニヤしながら見ている。保育所で見た紙芝居を思い出しているようだ。
2008年05月30日(Fri)
梵漢和対照法華経
朝勤ではゆっくりと法華経八巻を読んでいる。静かな朝のこころよいひととき。心に残ることばは書きとめておく。
三月に岩波書店から植木雅俊訳『梵漢和対照法華経』が出版されてからは朝食ののちに、同じ箇所を読み合わせする楽しみが増えた。今日も註を読んでいると、月を意味する梵語は「ウサギを持つもの」で、仏教がインドから中国へ伝わると、それまで中国では月にヒキガエルがいると考えられていたのが、ウサギがいるという考えに変わったと記されていた。
おもしろい。昔習った梵語の文法を思い出しながら註を読むのは楽しい。
三月に岩波書店から植木雅俊訳『梵漢和対照法華経』が出版されてからは朝食ののちに、同じ箇所を読み合わせする楽しみが増えた。今日も註を読んでいると、月を意味する梵語は「ウサギを持つもの」で、仏教がインドから中国へ伝わると、それまで中国では月にヒキガエルがいると考えられていたのが、ウサギがいるという考えに変わったと記されていた。
おもしろい。昔習った梵語の文法を思い出しながら註を読むのは楽しい。