アーカイブリスト
2008年03月11日(Tue)
仏像の道
あたたかさに誘われて上野・国立博物館の仏像展へ行った。
中国龍門石窟の仏頭のおだやかなまなざしが心に残った。
ベンチに腰掛けていると、かつて恩師が「仏教の目的は執着を離れること」と授業で語った光景が脳裏によみがえった。
仏像の表情は執着を離れたことを物語っていた。
人生の苦しみに対する処方箋は、消費社会の中で欲望を制御することに尽きるのではないか。
東京国立博物館
中国龍門石窟の仏頭のおだやかなまなざしが心に残った。
ベンチに腰掛けていると、かつて恩師が「仏教の目的は執着を離れること」と授業で語った光景が脳裏によみがえった。
仏像の表情は執着を離れたことを物語っていた。
人生の苦しみに対する処方箋は、消費社会の中で欲望を制御することに尽きるのではないか。
東京国立博物館
2008年03月05日(Wed)
ならぬものはならぬものです
「会津っこ宣言」を知った。白虎隊で有名な会津に伝わる伝統教育の文言を本にできたようだ。
「弱いものをいじめてはなりませぬ‥‥」とあり、最後に
「ならぬものはならぬものです」
とあるのが心に残った。
明け方、たまたま、テレビを見て感心したものの、メモできなかったのが残念。
防衛省前次官の汚職やこのたびのイージス艦事件を見るにつけ
私たちから「ならぬものはならぬものです」の精神が欠如していることを痛感する。
「弱いものをいじめてはなりませぬ‥‥」とあり、最後に
「ならぬものはならぬものです」
とあるのが心に残った。
明け方、たまたま、テレビを見て感心したものの、メモできなかったのが残念。
防衛省前次官の汚職やこのたびのイージス艦事件を見るにつけ
私たちから「ならぬものはならぬものです」の精神が欠如していることを痛感する。
2008年03月01日(Sat)
今月の聖語[平成二十年三月]
平成二十年三月の聖語をご紹介します。
=解説=「娑婆即浄土」 正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に〜」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。
我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。
要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。
=解説=「娑婆即浄土」 正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に〜」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。
我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。
要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。
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