アーカイブリスト
2008年10月01日(Wed)
但行礼拝の精神
上林暁(かんばやし あかつき)(1902〜1980)という作家がいる。
この夏、暑さをさけて志賀直哉をよみふけり、その次に誰かを読みたいと思い、たまたま出会った小説が上林暁の書いたものだった。文庫本にも収録されていないし、すべて絶版のようだから一般には知られていないと思う。
青山二郎の装丁に心惹かれて古書店でもとめた昭和21年9月発行の小説集『晩春日記』が私の始めて読む氏の作品であった。作品の中に記されている太平洋戦争末期の東京での生活の様子に最初は興味をもった。その中の一編「現世図絵」にはふだんよく歩く新宿あたりが、次のように描かれている。
新宿駅は、土嚢で固められていました。汽車の切符を買う人が、何重にも列を作っていました。駅の前の建物は、疎開のため取り払われていて、高野果物店まで見通しでした。(原文は旧仮名遣い)
現在の新宿アルタ周辺を思い浮かべると感無量。
さて、上林氏は戦争末期の食糧難に加えて、精神を病む奥さんの介護という重荷をもしのがなければならなかった。私小説作家である上林氏はその経過を作品に克明に記している。その文章が私の心を突く。
「聖ヨハネ病院にて」という作品は、その奥さんの最期のようすを描いたものである。その中に私の心に残った次のような一節がある。
道は遠きに求むるに及ばず、また信仰は神に馮る必要はない。自分の身近には、妻という廃人同様の人間が居るではないか。眼も見えなければ、頭も狂っていて、その苦痛をすら自覚しない人間が居るではないか。この人間を神と見立ててはいけないだろうか。この人間のために、もっともっとやさしく‥
と述べられている。
敗戦前後の苦しい生活の中で、よくもこのように考えられたものである。一人の身近な人間に真心を尽くすことができたものである。
今、宗門運動の中で「但行礼拝の実践」が提唱されている。
上林氏のように、まずは身近な一人にやさしく、から心がけたいと思う。
この夏、暑さをさけて志賀直哉をよみふけり、その次に誰かを読みたいと思い、たまたま出会った小説が上林暁の書いたものだった。文庫本にも収録されていないし、すべて絶版のようだから一般には知られていないと思う。
青山二郎の装丁に心惹かれて古書店でもとめた昭和21年9月発行の小説集『晩春日記』が私の始めて読む氏の作品であった。作品の中に記されている太平洋戦争末期の東京での生活の様子に最初は興味をもった。その中の一編「現世図絵」にはふだんよく歩く新宿あたりが、次のように描かれている。
新宿駅は、土嚢で固められていました。汽車の切符を買う人が、何重にも列を作っていました。駅の前の建物は、疎開のため取り払われていて、高野果物店まで見通しでした。(原文は旧仮名遣い)
現在の新宿アルタ周辺を思い浮かべると感無量。
さて、上林氏は戦争末期の食糧難に加えて、精神を病む奥さんの介護という重荷をもしのがなければならなかった。私小説作家である上林氏はその経過を作品に克明に記している。その文章が私の心を突く。
「聖ヨハネ病院にて」という作品は、その奥さんの最期のようすを描いたものである。その中に私の心に残った次のような一節がある。
道は遠きに求むるに及ばず、また信仰は神に馮る必要はない。自分の身近には、妻という廃人同様の人間が居るではないか。眼も見えなければ、頭も狂っていて、その苦痛をすら自覚しない人間が居るではないか。この人間を神と見立ててはいけないだろうか。この人間のために、もっともっとやさしく‥
と述べられている。
敗戦前後の苦しい生活の中で、よくもこのように考えられたものである。一人の身近な人間に真心を尽くすことができたものである。
今、宗門運動の中で「但行礼拝の実践」が提唱されている。
上林氏のように、まずは身近な一人にやさしく、から心がけたいと思う。
2008年10月01日(Wed)
今月の聖語[平成二十年十月]
平成二十年十月の聖語をご紹介します。
=解説=「功徳」 (一二七五年建治元年 聖寿五十四歳)
この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。
仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。
だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。
=解説=「功徳」 (一二七五年建治元年 聖寿五十四歳)
この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。
仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。
だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。
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