2007年06月01日(Fri)
今月の聖語[平成十九年六月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「道心」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
このお手紙は、女性檀越である「妙心尼」に宛てられたものである。手紙の中で、日蓮聖人は妙心尼からの供養の礼を述べるとともに、夫である入道の病気を心配され、病について説明されている。
人の死は病気によるとは限らない。病気であるから死ぬとは決まっていない。あなたのご主人の今度の病気は、仏様のお計らいであるかも知れません。経文に病気をもつ人は仏になると説かれている。病気によって道心(仏道を求める心)が起こるからである。病が求道の良き縁となるからである。
病床に伏せっている間は「日々(ひび)夜々(やや)に道心ひまなし」で闘病生活につとめなさい。病によって信仰に入(はい)り安心(あんじん)の境(きょう)に遊ぶことが出来ましょう。
災いを転じて幸(さいわい)と成し得る。病苦に呻吟(しんぎん)する信徒教導の一節である。
=解説=「道心」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
このお手紙は、女性檀越である「妙心尼」に宛てられたものである。手紙の中で、日蓮聖人は妙心尼からの供養の礼を述べるとともに、夫である入道の病気を心配され、病について説明されている。
人の死は病気によるとは限らない。病気であるから死ぬとは決まっていない。あなたのご主人の今度の病気は、仏様のお計らいであるかも知れません。経文に病気をもつ人は仏になると説かれている。病気によって道心(仏道を求める心)が起こるからである。病が求道の良き縁となるからである。
病床に伏せっている間は「日々(ひび)夜々(やや)に道心ひまなし」で闘病生活につとめなさい。病によって信仰に入(はい)り安心(あんじん)の境(きょう)に遊ぶことが出来ましょう。
災いを転じて幸(さいわい)と成し得る。病苦に呻吟(しんぎん)する信徒教導の一節である。
2007年05月01日(Tue)
今月の聖語[平成十九年五月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。
=解説=「信の貫徹」 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
およそ考えられるあらゆる抑圧が日蓮聖人とその門弟を襲った。公私の圧迫はひきもきらず押し寄せた。あたかも一波が万波を呼ぶように、それほどに弾圧の嵐が吹き荒れたのである。
ここにおいて、さすがに疑惑せざるを得ない。おのが依ってたつ信仰の基盤を。信仰は安心の獲得である。心の静謐・泰平をもたらす。しかし魔障紛然として競起する。現世の安穏、身の安全すらない。諸天の加護ないかのごとくである。
信とは「無疑の義」疑いなきを「信」という。無疑の信の貫徹が仏界到達の一道。諸難雲集は決して悲歎事ではない。「諸難ありとも疑う心なくわ、じねん自然に仏界に至るべし」受難の痛苦を法悦におきかえるのが信仰者の菩提心である。
2007年04月02日(Mon)
今月の聖語[平成十九年四月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=「積み重ね」 弘安元年(一二七八聖寿五十七歳)
雪は累年つみかさなって融けぬとよりすぐった水の精華、水晶となる。千年も過ぎれば氷は化して玻璃珠になるという。玻璃は水精、七宝の一つで水晶のことである。一所懸命の頑張り、精励、精進。混じりけをなくした精粋。これらは必ず尊い結 晶をもたらせる。「悪積れば地獄」というのも、それなりの結晶である。われらの願いは「善積れば仏となる」こと。善根功徳の累積は仏となるほかない。積悪の余殃、積善の余慶。大善の持続が大果を生む。大果とは成仏。信仰主体者は、このことにおもいをこめる。経に「積功累徳」と説く。余殃とは、悪事の報いとしてくる災い。その反対語が余慶である。