2007年09月14日(Fri)
今月の聖語[平成十九年九月]
今月の聖語をご紹介します。
=解説=知教者(ちきょうしゃ) 文永七年(一二七〇年聖寿四十九歳)
経典多数のために、諸経の優劣を一定の基準から取捨し、それによって根拠とする経をたてたために諸宗乱立を生んだ。論師・人師とよばれる学僧が一宗をたてて一派を起した。それぞれ学的根拠をもつが、「仏意を窺(うかが)わざる論(ろん)師(し)・人(にん)師(し)多くして」と日蓮聖人は批判している。
仏意(ぶっち)、それは仏の衆生救済の熱きおもいを仏典の中に発見し、仏のご意志を汲み上げること、仏のご本意にもとづくことである。
仏意(ぶっち)忘却(ぼうきゃく)はすでに仏教ではない。一方に偏せず、いくつもの学者の考え方もまずおいて、直接経文の説示に従えば、法華経は最勝である。仏者は、経の本意・仏の本懐・仏意をきわめる知教者でなくてはならぬ。
=解説=知教者(ちきょうしゃ) 文永七年(一二七〇年聖寿四十九歳)
経典多数のために、諸経の優劣を一定の基準から取捨し、それによって根拠とする経をたてたために諸宗乱立を生んだ。論師・人師とよばれる学僧が一宗をたてて一派を起した。それぞれ学的根拠をもつが、「仏意を窺(うかが)わざる論(ろん)師(し)・人(にん)師(し)多くして」と日蓮聖人は批判している。
仏意(ぶっち)、それは仏の衆生救済の熱きおもいを仏典の中に発見し、仏のご意志を汲み上げること、仏のご本意にもとづくことである。
仏意(ぶっち)忘却(ぼうきゃく)はすでに仏教ではない。一方に偏せず、いくつもの学者の考え方もまずおいて、直接経文の説示に従えば、法華経は最勝である。仏者は、経の本意・仏の本懐・仏意をきわめる知教者でなくてはならぬ。