2008年05月13日(Tue)
伊豆法難
1261年の5月12日、日蓮聖人は鎌倉幕府によって伊豆へと流された。前年に前執権北条時頼へ奏進した立正安国論が物議を呼んでいたからである。聖人は諸宗との対論を望んだが、それはかなえられず、草庵を襲われ、あげくのはては流罪になった。
‥‥と考えているうちに、こう着状態に陥っている今日の政局を思った。昔も今も日本人は話し合いが苦手ではないのか。問答無用となりやすい。この点はもっともっと日蓮聖人に学ぶべきではなかろうか。いわゆる折伏のイメージからもっとも遠いのが日蓮聖人だと私は思っているのだが‥‥。
‥‥と考えているうちに、こう着状態に陥っている今日の政局を思った。昔も今も日本人は話し合いが苦手ではないのか。問答無用となりやすい。この点はもっともっと日蓮聖人に学ぶべきではなかろうか。いわゆる折伏のイメージからもっとも遠いのが日蓮聖人だと私は思っているのだが‥‥。