2010年10月01日(Fri)
今月の聖語[平成二十二年十月]
平成二十二年十月の聖語をご紹介します。
=解説=「約束の重大性」建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
約束の履行はなかなか困難である。人が世にあるということは、それ自体さまざまな約束ごとで結ばれている。それは網の目のようにつながっている。だから一つの不履行はたちまち他へ影響し、余波を生むこと必然である。
約束は、それがたとえつまらないことであっても違えてはならない、というのが掲示文の意味。約束は厳粛・厳正を内実とする。違約や破棄は、世俗にあっても信頼をそこねる。まして、出世間・信仰の世界にあっては、棄教となってすべてを失う。約束は守らねばならない。
日蓮聖人は、世俗倫理にすぎぬかにおもえる約束を重視した。信仰とは約束であると。「まして約束せし事たがうべしや」 「いかに約束をばたがえらるるぞ」と。日蓮聖人の宗教は、本仏釈尊との堅固な約束にたつ。日蓮聖人は本仏に約束し、本仏は日蓮聖人の応生を約束した。約束は決して世俗の規範ではないのである。
=解説=「約束の重大性」建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
約束の履行はなかなか困難である。人が世にあるということは、それ自体さまざまな約束ごとで結ばれている。それは網の目のようにつながっている。だから一つの不履行はたちまち他へ影響し、余波を生むこと必然である。
約束は、それがたとえつまらないことであっても違えてはならない、というのが掲示文の意味。約束は厳粛・厳正を内実とする。違約や破棄は、世俗にあっても信頼をそこねる。まして、出世間・信仰の世界にあっては、棄教となってすべてを失う。約束は守らねばならない。
日蓮聖人は、世俗倫理にすぎぬかにおもえる約束を重視した。信仰とは約束であると。「まして約束せし事たがうべしや」 「いかに約束をばたがえらるるぞ」と。日蓮聖人の宗教は、本仏釈尊との堅固な約束にたつ。日蓮聖人は本仏に約束し、本仏は日蓮聖人の応生を約束した。約束は決して世俗の規範ではないのである。
2010年09月03日(Fri)
今月の聖語[平成二十二年九月]
平成二十二年九月の聖語をご紹介します。
=解説=「末法の法華経」文永二年(一二六五年 聖寿四十四歳)
法華経第二十三章薬王品は、十種の譬喩をもって法華経が諸経を超え出た最勝の経典、仏典の大王経であることを明し称揚する。
『薬王品得意鈔(やくおうぼんとくいしょう)』は、薬王品の十喩称揚を説明したもの。ここは十喩の「第三(だいさん)譬月(ひがつ)」の文で月と星との光の度合いを対比校量(たいひきょうりょう)した箇所。経文は「衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、この法華経もまたまた是の如し。千万億種の諸の経法の中に於て最もこれ照明なり」。星屑無数に光るが、ただ一月の光に明を失う。「衆星は光ありと雖も月に及ばず」なのである。星と月の光輝の差異は比較を絶するように、法華経は諸経に超勝するとの宣言・断定である。
しかも法華経は「末法為正・末法為本」である。釈尊滅後の三時代中、正法・像法は傍で、末法が正しく法華経が流布し衆生が救済される特別の時代であると教諭する。それが掲示文の意味。
=解説=「末法の法華経」文永二年(一二六五年 聖寿四十四歳)
法華経第二十三章薬王品は、十種の譬喩をもって法華経が諸経を超え出た最勝の経典、仏典の大王経であることを明し称揚する。
『薬王品得意鈔(やくおうぼんとくいしょう)』は、薬王品の十喩称揚を説明したもの。ここは十喩の「第三(だいさん)譬月(ひがつ)」の文で月と星との光の度合いを対比校量(たいひきょうりょう)した箇所。経文は「衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、この法華経もまたまた是の如し。千万億種の諸の経法の中に於て最もこれ照明なり」。星屑無数に光るが、ただ一月の光に明を失う。「衆星は光ありと雖も月に及ばず」なのである。星と月の光輝の差異は比較を絶するように、法華経は諸経に超勝するとの宣言・断定である。
しかも法華経は「末法為正・末法為本」である。釈尊滅後の三時代中、正法・像法は傍で、末法が正しく法華経が流布し衆生が救済される特別の時代であると教諭する。それが掲示文の意味。
2010年08月04日(Wed)
今月の聖語[平成二十二年八月]
平成二十二年八月の聖語をご紹介します。
=解説=「唱題の得益」文永三年(一二六六年 聖寿四十五歳)
掲示文は次の文節の断章である。「さればさせる解(さと)りなくとも、南無妙法蓮華経と唱るならば悪道をまぬかるべし。譬ば蓮華は日に随って回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し」。『法華題目抄』は念仏信者の某女性に宛てた長文の書状。その長文を費やし自在に筆を進め、まさにねんごろに、懇情を傾け尽くして丁寧に説明し説得し、法華経の題目信仰を勧奨するのが本状の趣旨である。長大なこの手紙は、救済せずんば止まじの熱誠をあふれさせ、ひたむきな心を打ちつけて「とくとく心をひるがへすべし。南無妙法蓮華経」と結ばれる。
南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題の得益得果の広大絶大を明かす言葉は平易で、その説得説示の辞句は層層と譬話を重ねて圧倒させる日蓮聖人の筆遣いである。原典・原文、読むべし。
=解説=「唱題の得益」文永三年(一二六六年 聖寿四十五歳)
掲示文は次の文節の断章である。「さればさせる解(さと)りなくとも、南無妙法蓮華経と唱るならば悪道をまぬかるべし。譬ば蓮華は日に随って回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し」。『法華題目抄』は念仏信者の某女性に宛てた長文の書状。その長文を費やし自在に筆を進め、まさにねんごろに、懇情を傾け尽くして丁寧に説明し説得し、法華経の題目信仰を勧奨するのが本状の趣旨である。長大なこの手紙は、救済せずんば止まじの熱誠をあふれさせ、ひたむきな心を打ちつけて「とくとく心をひるがへすべし。南無妙法蓮華経」と結ばれる。
南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題の得益得果の広大絶大を明かす言葉は平易で、その説得説示の辞句は層層と譬話を重ねて圧倒させる日蓮聖人の筆遣いである。原典・原文、読むべし。