2008年01月09日(Wed)
今月の聖語[平成二十年一月]
平成二十年一月の聖語をご紹介します。
=解説=成仏(じょうぶつ)の要諦(ようてい)
文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
この文章は、「例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし」と続く。
仏教者・仏弟子として、仏の教え・正法の衰微をどうして悲しまずにおられよう。正法の衰滅にあらがい、正法護持建立に奮然たつ。正法哀惜の情(じょう)うたた強盛たらざるを得ぬ。これが仏者の当然の気持ちである。
そのため百出の困難をしのぐ内なる勇気、かの獅子は小兎一匹にも全力を尽くし、大象にも恐れず雄々しくたちむかう。そのような獅子王の気概。この心あればかならず仏となる。我日蓮がその実例であり、これは決して日蓮のおごりではない。
日蓮は、獅子王だ。日蓮聖人の言(げん)は獅子吼だ。受難に身をさらす我が門弟達よ、ついの願い仏になるために、このことを知悉せよ。冷静に判断せよ。門弟にいいさとす日蓮聖人のお言葉は重い。
=解説=成仏(じょうぶつ)の要諦(ようてい)
文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
この文章は、「例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし」と続く。
仏教者・仏弟子として、仏の教え・正法の衰微をどうして悲しまずにおられよう。正法の衰滅にあらがい、正法護持建立に奮然たつ。正法哀惜の情(じょう)うたた強盛たらざるを得ぬ。これが仏者の当然の気持ちである。
そのため百出の困難をしのぐ内なる勇気、かの獅子は小兎一匹にも全力を尽くし、大象にも恐れず雄々しくたちむかう。そのような獅子王の気概。この心あればかならず仏となる。我日蓮がその実例であり、これは決して日蓮のおごりではない。
日蓮は、獅子王だ。日蓮聖人の言(げん)は獅子吼だ。受難に身をさらす我が門弟達よ、ついの願い仏になるために、このことを知悉せよ。冷静に判断せよ。門弟にいいさとす日蓮聖人のお言葉は重い。
2007年12月17日(Mon)
薬害患者を一律救済せよ
恐ろしいことに、わが国を動かす頭脳である霞ヶ関には人のいのちを線引きするという観念が巣食っている。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。
2007年12月14日(Fri)
どげんかせんといかん
ガンダーラの仏足を見て、新しくなった東京駅地下街へ入った。
ひとりの老婦人があわてた風で「トイレはどこですか」と係員に尋ねていた。
係員は「ずーっと向こうです」と遠くを指差していた。
この一年、身近にあったトイレがつぎつぎと喫茶店等に変わって、
私も不便な思いでいた。
トイレを遠くへ移すことが二十一世紀の東京駅の姿ですか。
ひとを大切にすることが一番ではないですか。
この世の中「どげんかせんといかん」
ひとりの老婦人があわてた風で「トイレはどこですか」と係員に尋ねていた。
係員は「ずーっと向こうです」と遠くを指差していた。
この一年、身近にあったトイレがつぎつぎと喫茶店等に変わって、
私も不便な思いでいた。
トイレを遠くへ移すことが二十一世紀の東京駅の姿ですか。
ひとを大切にすることが一番ではないですか。
この世の中「どげんかせんといかん」