2008年03月01日(Sat)
今月の聖語[平成二十年三月]
平成二十年三月の聖語をご紹介します。
=解説=「娑婆即浄土」 正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に〜」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。
我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。
要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。
=解説=「娑婆即浄土」 正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に〜」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。
我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。
要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。
2008年02月11日(Mon)
今月の聖語[平成二十年二月]
平成二十年二月の聖語をご紹介します。
=解説=「吉瑞(きちずい)と凶夭」
文永十二年(一二七五年聖寿五十四歳)
自然界に起こる様々な異変は、自然の運行、自然それ自体の活動とはせず、人間界の動向と深く関わると考えるのが依(え)正不二論(しょうふにろん)。
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらわし、地に帝釈の動きあり」と、示される。人の平安多幸は、吉祥の瑞が天にみちるし、地も帝釈の快い活動を招いて安穏豊楽で五穀がうるおうというのである。その逆が掲出文。悪心さかんで人の迷惑つのれば、不吉な天変・不祥な地夭が競起し充満すると。
人間堕落の根本は三毒。人間破壊の害毒三つの煩悩が貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)。災害は自然界の怒りで人間界の怒りの反動。心身の平安を乱しさとりを妨げる根本悪(こんぽんあく)瞋恚(しんに)。集団瞋恚の反動は当然に大きく、大害をもたらせる。
=解説=「吉瑞(きちずい)と凶夭」
文永十二年(一二七五年聖寿五十四歳)
自然界に起こる様々な異変は、自然の運行、自然それ自体の活動とはせず、人間界の動向と深く関わると考えるのが依(え)正不二論(しょうふにろん)。
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらわし、地に帝釈の動きあり」と、示される。人の平安多幸は、吉祥の瑞が天にみちるし、地も帝釈の快い活動を招いて安穏豊楽で五穀がうるおうというのである。その逆が掲出文。悪心さかんで人の迷惑つのれば、不吉な天変・不祥な地夭が競起し充満すると。
人間堕落の根本は三毒。人間破壊の害毒三つの煩悩が貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)。災害は自然界の怒りで人間界の怒りの反動。心身の平安を乱しさとりを妨げる根本悪(こんぽんあく)瞋恚(しんに)。集団瞋恚の反動は当然に大きく、大害をもたらせる。
2008年01月09日(Wed)
今月の聖語[平成二十年一月]
平成二十年一月の聖語をご紹介します。
=解説=成仏(じょうぶつ)の要諦(ようてい)
文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
この文章は、「例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし」と続く。
仏教者・仏弟子として、仏の教え・正法の衰微をどうして悲しまずにおられよう。正法の衰滅にあらがい、正法護持建立に奮然たつ。正法哀惜の情(じょう)うたた強盛たらざるを得ぬ。これが仏者の当然の気持ちである。
そのため百出の困難をしのぐ内なる勇気、かの獅子は小兎一匹にも全力を尽くし、大象にも恐れず雄々しくたちむかう。そのような獅子王の気概。この心あればかならず仏となる。我日蓮がその実例であり、これは決して日蓮のおごりではない。
日蓮は、獅子王だ。日蓮聖人の言(げん)は獅子吼だ。受難に身をさらす我が門弟達よ、ついの願い仏になるために、このことを知悉せよ。冷静に判断せよ。門弟にいいさとす日蓮聖人のお言葉は重い。
=解説=成仏(じょうぶつ)の要諦(ようてい)
文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
この文章は、「例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし」と続く。
仏教者・仏弟子として、仏の教え・正法の衰微をどうして悲しまずにおられよう。正法の衰滅にあらがい、正法護持建立に奮然たつ。正法哀惜の情(じょう)うたた強盛たらざるを得ぬ。これが仏者の当然の気持ちである。
そのため百出の困難をしのぐ内なる勇気、かの獅子は小兎一匹にも全力を尽くし、大象にも恐れず雄々しくたちむかう。そのような獅子王の気概。この心あればかならず仏となる。我日蓮がその実例であり、これは決して日蓮のおごりではない。
日蓮は、獅子王だ。日蓮聖人の言(げん)は獅子吼だ。受難に身をさらす我が門弟達よ、ついの願い仏になるために、このことを知悉せよ。冷静に判断せよ。門弟にいいさとす日蓮聖人のお言葉は重い。