アーカイブリスト
2009年06月26日(Fri)
「立正安国論」と村上春樹
村上春樹の小説『1Q84』はたちまちミリオンセラーになった。
知らずに下巻から読んだ人もいたというから、これはもう村上春樹現象である。
しかしわたしは今まで彼の小説やエッセイをまったく読まなかった。
知らなかったのではない。
なぜか手に取らなかった。
二十年前、麻原彰晃の本が書店に平積みされていたとき、『ノルウエーの森』が隣に積まれ、ベストセラーになって、村上春樹の名前が知られるようになった。
しかし、そのときも、それ以後も、彼の本を買うことは無かった。
なぜか、理由は私にも分からないが、たぶん、読む気が起こらなかったのだろう。
二、三の絵本と翻訳ものを除いては。
しかし、その私が昨日今日と、古書店へ行って、小説やエッセイを買い込んできた。
というのも、どうやら村上春樹はこの世界の姿とか生きることの意味を真剣に求めている作家だと、突然、気づいたからだ。
ページをめくっていると、次のような文章が眼に入った。
でも、今僕がいる世界は既に、より高度な資本主義の論理によって成立している世界だった。結局のところ、僕は知らず知らずの内にその世界にすっぽりと呑み込まれてしまっていたのだ。
(1992 『国境の南、太陽の西』 96頁 講談社)
結局のところ、僕らは投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいるのだ。
(2001 『シドニー!』あとがき 文藝春秋)
今年は、日蓮聖人が立正安国論を書かれて750年目にあたる。
聖人は、ただただ勉強したくてお坊さんになったのだという人もいる。
つまり、聖人はこの世界の姿とか生きることの意味を求められたのだ。
あのころのお坊さんは哲学者でもあり、文学者でもあったのだ。
立正安国論や開目抄、そして観心本尊抄にはその姿が反映していると思う。
そういうわけで、立正安国論と村上春樹には共通点があるということだ。
その村上春樹がこんなにも読まれているということは、わが日本人も捨てたものではない。
ちょっと、未来が明るくなってきた。世界には不安の空気がただよっているが、こういうときこそ、真剣に求めている人も多いと思われる。
お寺はがんばらなければならない。
知らずに下巻から読んだ人もいたというから、これはもう村上春樹現象である。
しかしわたしは今まで彼の小説やエッセイをまったく読まなかった。
知らなかったのではない。
なぜか手に取らなかった。
二十年前、麻原彰晃の本が書店に平積みされていたとき、『ノルウエーの森』が隣に積まれ、ベストセラーになって、村上春樹の名前が知られるようになった。
しかし、そのときも、それ以後も、彼の本を買うことは無かった。
なぜか、理由は私にも分からないが、たぶん、読む気が起こらなかったのだろう。
二、三の絵本と翻訳ものを除いては。
しかし、その私が昨日今日と、古書店へ行って、小説やエッセイを買い込んできた。
というのも、どうやら村上春樹はこの世界の姿とか生きることの意味を真剣に求めている作家だと、突然、気づいたからだ。
ページをめくっていると、次のような文章が眼に入った。
でも、今僕がいる世界は既に、より高度な資本主義の論理によって成立している世界だった。結局のところ、僕は知らず知らずの内にその世界にすっぽりと呑み込まれてしまっていたのだ。
(1992 『国境の南、太陽の西』 96頁 講談社)
結局のところ、僕らは投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいるのだ。
(2001 『シドニー!』あとがき 文藝春秋)
今年は、日蓮聖人が立正安国論を書かれて750年目にあたる。
聖人は、ただただ勉強したくてお坊さんになったのだという人もいる。
つまり、聖人はこの世界の姿とか生きることの意味を求められたのだ。
あのころのお坊さんは哲学者でもあり、文学者でもあったのだ。
立正安国論や開目抄、そして観心本尊抄にはその姿が反映していると思う。
そういうわけで、立正安国論と村上春樹には共通点があるということだ。
その村上春樹がこんなにも読まれているということは、わが日本人も捨てたものではない。
ちょっと、未来が明るくなってきた。世界には不安の空気がただよっているが、こういうときこそ、真剣に求めている人も多いと思われる。
お寺はがんばらなければならない。
2009年06月04日(Thu)
今月の聖語[平成二十一年六月]
平成二十一年六月の聖語をご紹介します。
=解説=「純信の果報」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
掲出分の前には、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。
いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。」とある。
冬来たりなば春遠からじ。冬は春の先触れ。冬と春は直結し逆行はあり得ない。季節の推移が不変のように、法華経信奉者は必ず成仏し、凡庸(ぼんよう)浅識(せんしき)のおろか者、つまり凡夫にはもどらない。それは、「法華経を聞く人は一人として成仏しない者はない」と説かれているからである。掲出文は後続して、「経文には若有聞法者無一不成仏と説かれて候」とある。経文は、法華経方便品第二の句。救済の絶対性をあかしたことばである。冬は春に、信は仏にそれぞれ直結して例外はない。ただし、冬は峻厳(しゅんげん)。それゆえ冬の信は純信(じゅんしん)厳正(げんせい)なのである。
=解説=「純信の果報」 建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
掲出分の前には、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。
いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。」とある。
冬来たりなば春遠からじ。冬は春の先触れ。冬と春は直結し逆行はあり得ない。季節の推移が不変のように、法華経信奉者は必ず成仏し、凡庸(ぼんよう)浅識(せんしき)のおろか者、つまり凡夫にはもどらない。それは、「法華経を聞く人は一人として成仏しない者はない」と説かれているからである。掲出文は後続して、「経文には若有聞法者無一不成仏と説かれて候」とある。経文は、法華経方便品第二の句。救済の絶対性をあかしたことばである。冬は春に、信は仏にそれぞれ直結して例外はない。ただし、冬は峻厳(しゅんげん)。それゆえ冬の信は純信(じゅんしん)厳正(げんせい)なのである。
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