アーカイブリスト
2007年12月17日(Mon)
薬害患者を一律救済せよ
恐ろしいことに、わが国を動かす頭脳である霞ヶ関には人のいのちを線引きするという観念が巣食っている。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。
2007年12月14日(Fri)
どげんかせんといかん
ガンダーラの仏足を見て、新しくなった東京駅地下街へ入った。
ひとりの老婦人があわてた風で「トイレはどこですか」と係員に尋ねていた。
係員は「ずーっと向こうです」と遠くを指差していた。
この一年、身近にあったトイレがつぎつぎと喫茶店等に変わって、
私も不便な思いでいた。
トイレを遠くへ移すことが二十一世紀の東京駅の姿ですか。
ひとを大切にすることが一番ではないですか。
この世の中「どげんかせんといかん」
ひとりの老婦人があわてた風で「トイレはどこですか」と係員に尋ねていた。
係員は「ずーっと向こうです」と遠くを指差していた。
この一年、身近にあったトイレがつぎつぎと喫茶店等に変わって、
私も不便な思いでいた。
トイレを遠くへ移すことが二十一世紀の東京駅の姿ですか。
ひとを大切にすることが一番ではないですか。
この世の中「どげんかせんといかん」
2007年12月07日(Fri)
二千年前のバブル
有楽町へ行った。
新しい広場を抜けると銀座はクリスマス気分。
ある古美術店でガンダーラの仏足を見つけた。
傷の入った残欠だが、気品がある。二千年もまえにアレクサンダー大王の軍隊の末裔によって造られた仏像のひとつだ。そのあたりはシルクロードの中心にあたり、ローマとならんで栄えた。現在のアフガニスタンからは想像もできない。
仏像はいわば二千年前のバブルの痕跡と言えようか。
高層ビルとブランド店の林立する東京は後世に何を遺すのだろう。
新しい広場を抜けると銀座はクリスマス気分。
ある古美術店でガンダーラの仏足を見つけた。
傷の入った残欠だが、気品がある。二千年もまえにアレクサンダー大王の軍隊の末裔によって造られた仏像のひとつだ。そのあたりはシルクロードの中心にあたり、ローマとならんで栄えた。現在のアフガニスタンからは想像もできない。
仏像はいわば二千年前のバブルの痕跡と言えようか。
高層ビルとブランド店の林立する東京は後世に何を遺すのだろう。
2007年12月01日(Sat)
今月の聖語[平成十九年十二月]
平成十九年十二月の聖語をご紹介します。
=解説=約束 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
信仰とはつらいものである。信とは無疑という。無疑の信をつらぬくことは、ほとほと至難である。信仰には多くの困難がつきまとう。内なる心の反乱もあり、外からの圧迫もある。信仰は迫害とつれそうといえよう。だから日蓮聖人は、弟子たちに朝に夕に教えていた。信仰することの持続の困難を。
人間は弱い。土壇場、ぎりぎり結着の場にさらされて、そこで本当の強弱が知られ真価がためされる。
人は弱い。つたなき者=拙者だ。拙者の習い性は、肝心の時に肝心の約束を放棄し忘れはててしまう。
真の時を生きようではないか。約束を履行しようではないか。仏との約束を、おのれとの約束を。
=解説=約束 文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
信仰とはつらいものである。信とは無疑という。無疑の信をつらぬくことは、ほとほと至難である。信仰には多くの困難がつきまとう。内なる心の反乱もあり、外からの圧迫もある。信仰は迫害とつれそうといえよう。だから日蓮聖人は、弟子たちに朝に夕に教えていた。信仰することの持続の困難を。
人間は弱い。土壇場、ぎりぎり結着の場にさらされて、そこで本当の強弱が知られ真価がためされる。
人は弱い。つたなき者=拙者だ。拙者の習い性は、肝心の時に肝心の約束を放棄し忘れはててしまう。
真の時を生きようではないか。約束を履行しようではないか。仏との約束を、おのれとの約束を。
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