2008年08月04日(Mon)
地獄はこの世にある
世界的な免疫学者、古美術のコレクターとしても著名な多田富雄先生の闘病記『寡黙なる巨人』(2007集英社)を読んだ。
脳梗塞との苛烈な戦いと治療、回復の過程が医学者の眼を通して記録されている。ここでは病気になって書いた先生の詩の一節を紹介しよう。
死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
遠いところにあるわけではない
ここなのだ
君だって行けるところなのだ (47頁)
健康なひとには絶対に見えてこない地獄があるのだ。
同じように、この世にはいろいろな地獄がある。
借金している人は借金地獄、孤独な人は孤独地獄‥‥。
たまたまその地獄に足を踏み入れなかった人は、今、つかのまの幸せを味わっているに過ぎないと思うべきだろう。
そして今日の政治の貧困はこの地獄の苦しみを増幅させている。
先生は現在の医療制度の改悪を批判して「狡猾な厚労省の役人」(240頁)と指弾している。
私たちも、立正安国・お題目結縁運動に真剣に取り組んで、宗教の貧困と批判されないようにしたいものだ。
脳梗塞との苛烈な戦いと治療、回復の過程が医学者の眼を通して記録されている。ここでは病気になって書いた先生の詩の一節を紹介しよう。
死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
遠いところにあるわけではない
ここなのだ
君だって行けるところなのだ (47頁)
健康なひとには絶対に見えてこない地獄があるのだ。
同じように、この世にはいろいろな地獄がある。
借金している人は借金地獄、孤独な人は孤独地獄‥‥。
たまたまその地獄に足を踏み入れなかった人は、今、つかのまの幸せを味わっているに過ぎないと思うべきだろう。
そして今日の政治の貧困はこの地獄の苦しみを増幅させている。
先生は現在の医療制度の改悪を批判して「狡猾な厚労省の役人」(240頁)と指弾している。
私たちも、立正安国・お題目結縁運動に真剣に取り組んで、宗教の貧困と批判されないようにしたいものだ。
2008年07月24日(Thu)
心太
俳人協会のカレンダーに
「心太(ところてん)嫌ひさらりと生きられず」(渡辺恭子)という句がのっている。
それを見て、最初、わたしが
「心大嫌(こころだいきら)ひさらりと生きられず」
とはずいぶんとはっきり述べたもの、と感心していると、家内から「心太はところてん、なのよ」とたしなめられ、句を確かめて驚いたものだ。
そして、昔、身延山の東谷の茶店に「ところてん あります」というビラが出ていたことをなつかしく思い出した。
それにしても、この夏は、まるでところてんのように、官庁の悪事がつぎつぎと露見する。
ことに大分県教育委員会関係者の汚職には唖然とする。
地位を金で買って、子供たちにはすまして訓戒を垂れていたとはあきれるではないか。
悪事に手を染めなければ教育界を生きることができなかったのだろうか。
ところてんができるように次から次へと教師の悪事が連鎖していくおそろしさ。
かれらが、さらりと、連鎖の網にしがみついたとは思いたくない。
「心太(ところてん)嫌ひさらりと生きられず」(渡辺恭子)という句がのっている。
それを見て、最初、わたしが
「心大嫌(こころだいきら)ひさらりと生きられず」
とはずいぶんとはっきり述べたもの、と感心していると、家内から「心太はところてん、なのよ」とたしなめられ、句を確かめて驚いたものだ。
そして、昔、身延山の東谷の茶店に「ところてん あります」というビラが出ていたことをなつかしく思い出した。
それにしても、この夏は、まるでところてんのように、官庁の悪事がつぎつぎと露見する。
ことに大分県教育委員会関係者の汚職には唖然とする。
地位を金で買って、子供たちにはすまして訓戒を垂れていたとはあきれるではないか。
悪事に手を染めなければ教育界を生きることができなかったのだろうか。
ところてんができるように次から次へと教師の悪事が連鎖していくおそろしさ。
かれらが、さらりと、連鎖の網にしがみついたとは思いたくない。
2008年07月21日(Mon)
お盆に考える
お盆と終戦の日が重なっているために、これから戦争と戦没者に関するマスコミの評言が多くなる。
6月4日から連載された毎日新聞の「平和をたずねて−快楽としての戦争−」(福岡賢正)に注目した。これは福岡県のある村の戦争体験集から戦争の一面を考えたものだ。こんな文章がある。
《敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数えきれない程です。‥‥戦火の合間に‥‥食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました》
そして記者は「戦争は悲惨だ。だから絶対してはならぬと人は言う。しかし‥‥なお戦争が続いているのは、戦争が人間を陶然とさせてやまない快楽の要素を併せ持っているからではないか」と問題を提起している。
戦国時代の戦は出稼ぎだったという説を読んだこともある。
そして現在も戦火は絶えることなく、わが国では秋葉原通り魔事件等も続発している。
お盆は、せめてひとときでもわが心の奥深く潜むものを見つめるときでありたい。
6月4日から連載された毎日新聞の「平和をたずねて−快楽としての戦争−」(福岡賢正)に注目した。これは福岡県のある村の戦争体験集から戦争の一面を考えたものだ。こんな文章がある。
《敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数えきれない程です。‥‥戦火の合間に‥‥食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました》
そして記者は「戦争は悲惨だ。だから絶対してはならぬと人は言う。しかし‥‥なお戦争が続いているのは、戦争が人間を陶然とさせてやまない快楽の要素を併せ持っているからではないか」と問題を提起している。
戦国時代の戦は出稼ぎだったという説を読んだこともある。
そして現在も戦火は絶えることなく、わが国では秋葉原通り魔事件等も続発している。
お盆は、せめてひとときでもわが心の奥深く潜むものを見つめるときでありたい。