2008年01月17日(Thu)
ボソーツと歩む
今年もまたSさんの年賀状にこころがなごむ。
隅に手書きの小さな文字で「今年もボソーツと歩んで行きたいと思って居ります。」とある。
昨年は「今年も一生懸命がんばりマセン。」と記され、家内と笑った。
境内の梅ノ木には花のつぼみが寒さに耐えている。
もうすぐピンクの八重をつける。ゆっくりと人生の一瞬一瞬を味わいたい。あちらでは猫のルイがひそかに鳥を見つめている。
隅に手書きの小さな文字で「今年もボソーツと歩んで行きたいと思って居ります。」とある。
昨年は「今年も一生懸命がんばりマセン。」と記され、家内と笑った。
境内の梅ノ木には花のつぼみが寒さに耐えている。
もうすぐピンクの八重をつける。ゆっくりと人生の一瞬一瞬を味わいたい。あちらでは猫のルイがひそかに鳥を見つめている。
2008年01月09日(Wed)
いのちはひとりひとり
清々しい本堂で、薬害患者の一律救済をはじめに多くの人が幸せになりますようにと祈る。
ある日のこと、ねむの木学園の宮城まり子は出向の職員が一生懸命に描かれた園児の絵を燃やしている無残な光景を見て、あわてて炎のなかから園児の絵を拾い出したという。
今、園児の絵はすべてたいせつにねむの木美術館に収められている。
尊いいのちという抽象的なものがあるわけではない。
いのちはひとりひとりであり、そのひとりひとりが尊いのである。
だから、いのちに線引きをしてはならない。
このことをお釈迦さまは法華経に「ことごとくわが子」と述べられたのである。
日本がそのような国になりますように。
ある日のこと、ねむの木学園の宮城まり子は出向の職員が一生懸命に描かれた園児の絵を燃やしている無残な光景を見て、あわてて炎のなかから園児の絵を拾い出したという。
今、園児の絵はすべてたいせつにねむの木美術館に収められている。
尊いいのちという抽象的なものがあるわけではない。
いのちはひとりひとりであり、そのひとりひとりが尊いのである。
だから、いのちに線引きをしてはならない。
このことをお釈迦さまは法華経に「ことごとくわが子」と述べられたのである。
日本がそのような国になりますように。
2007年12月17日(Mon)
薬害患者を一律救済せよ
恐ろしいことに、わが国を動かす頭脳である霞ヶ関には人のいのちを線引きするという観念が巣食っている。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。
かつてナチスドイツの官僚はユダヤ人のいのちを事務的に線引きして、病人・老人・幼児をアウシュビッツへと送り込んだ。患者の怒りは自らに向けられた霞ヶ関のこのような視線に対してだ。
国家の運営は国民の幸せのためのもの。国民の代表である福田首相は一律救済を決断すべきである。国際社会も日本の体質に注目している。