2007年11月01日(Thu)
今月の聖語[平成十九年十一月]
平成十九年十一月の聖語をご紹介します。
=解説=獄中の弟子達へ 文永八年(一二七一年聖寿五十歳)
このお手紙は、文永八年十月九日、沈々たる静夜、粛殺たる冷気の中、日蓮聖人が佐渡へと流される前日に、とらわれの愛弟子日朗に別離と慰撫の状としてしたためられたものである。
明日、北海の孤島佐渡へ流され行く。氷雪に肌を交える流人生活がはじまる。当時の佐渡は、魔の島・死の島である。死に行くおのが身を忘れはてて日蓮聖人は獄舎につながれている弟子の身の上に思いをそそぐ。獄中の日朗よ、陰惨な土の牢に受難に耐える弟子達よ。法の故に恐怖の日々をすごす弟子達よ。幽閉の弟子へ師として語り継げる言葉は濃(こま)やかな心情にあふれている。その言葉は短簡で少ないが、沈黙の余韻は響き無量である。
=解説=獄中の弟子達へ 文永八年(一二七一年聖寿五十歳)
このお手紙は、文永八年十月九日、沈々たる静夜、粛殺たる冷気の中、日蓮聖人が佐渡へと流される前日に、とらわれの愛弟子日朗に別離と慰撫の状としてしたためられたものである。
明日、北海の孤島佐渡へ流され行く。氷雪に肌を交える流人生活がはじまる。当時の佐渡は、魔の島・死の島である。死に行くおのが身を忘れはてて日蓮聖人は獄舎につながれている弟子の身の上に思いをそそぐ。獄中の日朗よ、陰惨な土の牢に受難に耐える弟子達よ。法の故に恐怖の日々をすごす弟子達よ。幽閉の弟子へ師として語り継げる言葉は濃(こま)やかな心情にあふれている。その言葉は短簡で少ないが、沈黙の余韻は響き無量である。
2007年10月29日(Mon)
高松・四国村へ行く。
好天に誘われて旅に出た。
屋島の麓にある四国村には多くの古民家が集められている。
すでに滅びた昔の日本のたたずまいが訪れたものをつつむ。
今回、建物の内外には東京・目白の古道具商・坂田和實氏によって選ばれた古民具が展示され、独特の空気を放っている。
つぎはぎの古布や古い箱が、なぜ、私のこころをとらえるのだろうか。
多くの外国人が散策していた。ここは、私たちが胸をはって「これが本当の日本です」と自慢できるものの一つだ。
坂の上り下りにたっぷりと汗を流した。
屋島の麓にある四国村には多くの古民家が集められている。
すでに滅びた昔の日本のたたずまいが訪れたものをつつむ。
今回、建物の内外には東京・目白の古道具商・坂田和實氏によって選ばれた古民具が展示され、独特の空気を放っている。
つぎはぎの古布や古い箱が、なぜ、私のこころをとらえるのだろうか。
多くの外国人が散策していた。ここは、私たちが胸をはって「これが本当の日本です」と自慢できるものの一つだ。
坂の上り下りにたっぷりと汗を流した。
2007年10月17日(Wed)
職人の心意気
異常に暑かった夏はおわり、電栄寺の周囲はすっかり秋のよそおい。早朝の散歩の前にテレビをつけると、信州鎌の職人・山崎さんの話が心にしみた。
「毎日が、いいものを作ろうと思って五十年経った。つらいと思ったことはない。
いい鎌ができたときは、ニンマリとして満足」
前夜放送されたボクシングの試合にのぞんだ若い挑戦者の無礼な物言いと試合内容のあとでは、きわだって爽快な一言だった。
「毎日が、いいものを作ろうと思って五十年経った。つらいと思ったことはない。
いい鎌ができたときは、ニンマリとして満足」
前夜放送されたボクシングの試合にのぞんだ若い挑戦者の無礼な物言いと試合内容のあとでは、きわだって爽快な一言だった。