2008年06月27日(Fri)
恐ろしい質問
25年ほど続いている地区寺院主催の檀信徒の学習会に時々出席する。
ここ10年は日蓮宗新聞社から出ているご遺文習学シリーズをテキストにしている。
恐ろしいのは最後の質問である。
「私たちは仏に成らないといけないと言われますが、仏さんというのはいったいどんな状態のことなのですか」等々、答えにくい質問がやたらと発せられる。
内心冷や汗がでる。
相手もさるもの、こちらの困るのを見越しているのだ。
「みなさん、このように暑苦しいときに、電車やバスにのって、こんなにむずかしい勉強会へと出席されることが仏さまのお姿ではないでしょうか。法華経にはこの経は持ちがたし、しばらくも持てば真の仏子、とあります」と答えさせていただいたときもあった。
ふーん、そうかな、というお顔をされている。
でも、自分では気がつかない、何でもないことが、じつは尊いのではなかろうか。
毎日退屈だなあ、と思う日々が、明日をも知れぬ身になったときにはなにものにも換えがたい尊い日々になるように。
ここ10年は日蓮宗新聞社から出ているご遺文習学シリーズをテキストにしている。
恐ろしいのは最後の質問である。
「私たちは仏に成らないといけないと言われますが、仏さんというのはいったいどんな状態のことなのですか」等々、答えにくい質問がやたらと発せられる。
内心冷や汗がでる。
相手もさるもの、こちらの困るのを見越しているのだ。
「みなさん、このように暑苦しいときに、電車やバスにのって、こんなにむずかしい勉強会へと出席されることが仏さまのお姿ではないでしょうか。法華経にはこの経は持ちがたし、しばらくも持てば真の仏子、とあります」と答えさせていただいたときもあった。
ふーん、そうかな、というお顔をされている。
でも、自分では気がつかない、何でもないことが、じつは尊いのではなかろうか。
毎日退屈だなあ、と思う日々が、明日をも知れぬ身になったときにはなにものにも換えがたい尊い日々になるように。
2008年06月20日(Fri)
見えないものの恐ろしさ
またしても大地震。五日間が経過して11人の死者と11人の行方不明者。現地の状況は他人事ではない。
大地震は、いつ、どこに起こっても不思議ではない。誰もがおののいている。山が崩落し、道路が寸断された光景を中継で見るたびに、大自然の見えない力の恐ろしさにすくむ。
新幹線に乗り、高速道路を利用するとき、近代文明の力を感じるものだが、しかし、私たちはいささか大自然の力をみくびっているのではなかろうか。
自然ばかりではない。人の心もそうだ。
秋葉原通り魔事件は私たちの心にひそむ魔物の恐ろしさをあらためて教えてくれた。
被害者と遺族の苦痛はいかばかりか。
だが、加害者の心の闇は一人加害者だけのものだろうか。
「汝、早く信仰の寸心を改めよ」(日蓮聖人『立正安国論』)のお言葉をかみしめ、安心して暮らせる世の中を取り戻そうではないか。
大地震は、いつ、どこに起こっても不思議ではない。誰もがおののいている。山が崩落し、道路が寸断された光景を中継で見るたびに、大自然の見えない力の恐ろしさにすくむ。
新幹線に乗り、高速道路を利用するとき、近代文明の力を感じるものだが、しかし、私たちはいささか大自然の力をみくびっているのではなかろうか。
自然ばかりではない。人の心もそうだ。
秋葉原通り魔事件は私たちの心にひそむ魔物の恐ろしさをあらためて教えてくれた。
被害者と遺族の苦痛はいかばかりか。
だが、加害者の心の闇は一人加害者だけのものだろうか。
「汝、早く信仰の寸心を改めよ」(日蓮聖人『立正安国論』)のお言葉をかみしめ、安心して暮らせる世の中を取り戻そうではないか。
2008年06月13日(Fri)
カラヤン嫌い、あるいは法華経嫌いについて
クラッシック音楽界の帝王といわれたカラヤンを嫌いだという人が多い。
そのためもあって私のカラヤンのCDもわずか四、五枚。
しかし、先日テレビで天野祐吉氏のカラヤン絶賛の弁を聞いて、カラヤンを聴き直して見た。
なるほど、すばらしい。
これに比べるといっときほれ込んでいた巨匠の演奏は酔っ払いの歩行のように思えた。もとより、素人の感想である。カラヤンはヨーロッパ音楽の伝統を体現した人だろう。商売人は彼をけなさなければ商売にならなかったというほどのものだろう。
それで連想したのが、経王といわれる法華経を嫌う人が多いことだ。
とくに浄土思想が隆盛してからのこと。しかし、法華経を読んだうえで嫌っているのだろうか。
もっと言うと、法華経を信じているという人も、はたしてよく読みこんで、そう思っているのだろうか。
私も反省して、法華経のすばらしさを実感、納得するために本気で読んでいるこのごろである。
そのためもあって私のカラヤンのCDもわずか四、五枚。
しかし、先日テレビで天野祐吉氏のカラヤン絶賛の弁を聞いて、カラヤンを聴き直して見た。
なるほど、すばらしい。
これに比べるといっときほれ込んでいた巨匠の演奏は酔っ払いの歩行のように思えた。もとより、素人の感想である。カラヤンはヨーロッパ音楽の伝統を体現した人だろう。商売人は彼をけなさなければ商売にならなかったというほどのものだろう。
それで連想したのが、経王といわれる法華経を嫌う人が多いことだ。
とくに浄土思想が隆盛してからのこと。しかし、法華経を読んだうえで嫌っているのだろうか。
もっと言うと、法華経を信じているという人も、はたしてよく読みこんで、そう思っているのだろうか。
私も反省して、法華経のすばらしさを実感、納得するために本気で読んでいるこのごろである。